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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅷ <2> 組織者

日本改造法案 将校に広める

 近代日本最大のクーデター事件である昭和11(1936)年の二・二六事件。事件首謀者として北一輝とともに処刑された西田税(みつぎ)は米子の出身である。

 北の日本改造法案を広めて青年将校たちを組織化した人物は、今なお地元に存在感をとどめる。事件後80年の7年前、米子市立山陰歴史館は西田の足跡をたどる企画展を催した。

 米子の秀才だった西田は大正4(15)年に広島陸軍地方幼年学校へ入り、3年後に首席で卒業した。好成績をねたむ陸軍主流の山口県出身者から圧迫を受け、反軍閥の心情を抱く。

 東京の陸軍中央幼年学校を経て陸軍士官学校へ。欧米からの解放を唱えるアジア主義者と交わり、大正デモクラシーの空気にも触れた。大正11(22)年に胸を患って病床の読書で北の存在を知り、退院後に訪ねる。

 中国革命に立ち会った北は帰国後に「日本改造法案大綱」(後の題名)を著す。クーデターを起こし天皇大権下で憲法停止と両院解散、華族制廃止を断行し、私有財産や土地所有、私的企業資本の制限など国家社会主義的な施策を行うのが法案の柱である。西田は魅了された。

 北は西田を信頼して出版を任せた。教祖と布教者のように西田は士官学校同期や後輩に改造法案を読ませ、北に会わせた。

 大正末期、政党内閣下での軍縮推進で肩身が狭い軍人たちに北は語りかけた。「いまの日本を救いうるものは、まだ腐敗していないこの軍人だけです。しかも若いあなた方です」

 軍人の組織化を西田は進めた。極貧の農村出身兵に接する西田派の青年将校の義憤は政党政治に向かい、国家改造による「昭和維新」革命を目指す。

 境港で育った漫画家水木しげるの母は同郷の西田をよく知っており、二・二六事件に大変な興味を示した。「政治が悪いけん貧乏する」「国を憂えてやった人たちだ」と反乱軍に味方する母を水木は「コミック昭和史」で描いている。

 日本がファシズムへの階段を駆け上る契機となった二・二六事件。歴史の暗転を招いた背景として、水木の母に代表される同時代の庶民が抱いた思いも無視はできない。(山城滋)

西田税
 1901~37年。現米子市の仏具商家に生まれる。大正14年に予備役。国家主義団体の行地社で機関誌を編集し、郷里で米子町政革新総同盟を組織。昭和2年に青年将校らの国家改造団体を結成し、西田派青年将校が二・二六事件を起こした。

(2023年9月13日朝刊掲載)

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