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社説・コラム

『潮流』 編集委員 道面雅量 100年前の紙面

 やはり、本紙にも―。100年前、関東大震災直後の中国新聞紙面を調べてみた。<列車に爆弾、井戸に毒>…。関東一円で自警団などによる殺傷事件を助長した、朝鮮半島出身者についての「流言」が載っていた。

 末尾に(東京電報)(大阪電話)といった注があり、情報網が混乱する中で伝聞を採用したようだが、許されないことだ。

 驚くのは、内容も含めた流言の急拡大ぶり。地震翌日の9月2日付紙面は<東海道鈴川(静岡県東部)中心に激震><横浜大火>などと震災の概要すらつかめていない。3日付で<東京全市は火の海>の見出しとなるが、時の首相(2日に就任し組閣中の山本権兵衛)が朝鮮人に暗殺されたという<噂(うわさ)>が既に載っている。<列車に爆弾―>は4日付。5日付には、警戒中の軍隊が襲われ<一個小隊は全滅したそうである>とある。

 今読めば荒唐無稽な内容が、なぜ? 新聞人を含めて当時の日本社会が、それだけ朝鮮人への恐れを抱いていたということだろう。半島を植民地支配し、蔑視を強め、独立運動を弾圧していた裏返しとして。

 当時の紙面は、殺傷事件を題材にした映画「福田村事件」の記事を書く参考で調べた。公開中の同作も、時代背景の描写に心を砕いている。

 抑圧や差別、侵略は、する側の国の社会も恐怖でこわばらせ、理性を奪う。パレスチナやウクライナからも見えてくる、古今東西を問わない道理だろう。

 朝鮮人虐殺について「政府内に記録が見当たらない」(松野博一官房長官)とする見解には、植民地支配の罪を認めたくないという恐れと非理性が、100年たっても裏に貼り付いている。

(2023年9月14日朝刊掲載)

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