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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅷ <3> 政党政治 普通選挙を導入 政争が過熱

 暗い戦争の時代に突入する前の近代日本に、民主政治の高揚期があった。8年間続いた政党内閣の時代である。

 虎ノ門事件で第2次山本権兵衛(ごんべえ)内閣が倒れた後、貴族院中心の清浦奎吾内閣が大正13(1924)年1月に発足した。

 衆院過半数を占める立憲政友会が内紛で分裂する。清浦内閣に対決姿勢を取る高橋是清総裁に対し、内閣支持の保守派は脱党して政友本党を結成した。

 政友会の高橋、憲政会の加藤高明(たかあき)、革新倶楽部(くらぶ)の犬養毅の3党党首は政党政治の確立に向け手を握った。これら「護憲三派」は同年5月の総選挙で勝利し、普通選挙制(普選)導入を掲げた憲政会が衆院第1党となる。

 元老らに推された加藤高明による3党連立内閣が同年6月に成立。大正14(25)年3月、25歳以上の男子に参政権を与える選挙法改正を実現させた。

 同時に、国体の変革や私有財産制否認の運動に関わる者を処罰する治安維持法も成立した。普選のアメに対し、共産主義の拡大を防ぐムチだった。

 与党でも革新倶楽部は抵抗した。広島11区選出の湯浅凡平は「普通選挙の目的を達成する上に於(おい)て甚だしく矛盾がある」と衆院で同法案に反対を表明。普選の目的は「有(あら)ゆる階級を開放致して、其(その)自由を確保するに在(あ)る」と主張した。

 湯浅は、有権者が4倍に増える普選が実施されると私有財産制限を求める無産政党が台頭すると想定した。ところが、労働者や小作農民の大半は無産政党に投票しなかった。

 憲政会(後身は立憲民政党)と政友会が衆院で拮抗(きっこう)した。二大政党制の下で政争が過熱し、有権者へのアピール合戦が時に政策をねじ曲げた。金権選挙や利益誘導、政財界のもたれ合いがまかり通った。

 民政党政権による金解禁が昭和恐慌を激化させ、政党政治への信頼は失墜した。農村窮乏を背景に青年将校らは既成政党の打倒を叫び始める。(山城滋)

政党の変遷
 大正13年1月の分裂で政友本党149人、政友会129人に。政友会は同14年5月に革新倶楽部と合同し、政友本党の一部も同15年2月に政友会へ復帰。憲政会と政友本党は昭和2年6月に合同し民政党を結成した。

(2023年9月14日朝刊掲載)

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