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社説・コラム

[ひと まち] 「独りぼっち」にしない

 住宅街の一角からにぎやかな笑い声が響く。原爆で両親を失った山田寿美子さん(80)が7月、広島市東区の自宅に開いた「山田さん家のおしゃべりサロン」だ。地域住民が月に2回集い、手芸などをしながら約2時間、会話に花を咲かせる。

 「独りで過ごした子どもの頃は寂しかった。地域から独りぼっちをなくしたくて」。山田さんは幼少期を振り返る。

 2歳の時、爆心地から2・3キロにあった母の実家で被爆。市中心部での建物疎開作業に出ていた両親を原爆に奪われた。

 戦後は苦難の連続。年の離れた姉や兄とは混乱の中で離れ離れになり、7歳上のいとこと貧しい2人暮らしも体験した。やがて親類に引き取られたが、誰もが困窮している戦後。その親類宅も転々とせざるを得なかった。学校では「親なし子」といじめられた。

 〈暗い、さびしい印象を、会う人ごとに投げかけていた〉。原爆孤児の支援に尽くした児童文学者山口勇子さんが自著にそうつづったほどの「暗い子」だった。

 笑顔を取り戻したのは、中学卒業を前にわが子のように接してくれる長姉夫妻と暮らせるようになってから。山口さんたち支援者の励ましもあり、人を信用できるようになった。勉学に励み、「人の役に立とう」と福祉系の大学へ進んだ。

 卒業後は広島市内の病院に職を得て40年近く医療ソーシャルワーカーとして地域で孤立しがちな人たちを支えた。退職後には居宅介護支援事業所を運営。80歳になる節目に閉じたのを機に、自宅を地域住民が集える場にしようと決めた。

 サロンの参加費は1回100円。唯一のルールは「人の悪口を言わないこと」。あとは自由だ。

 8月下旬の集まりには69~90歳の7人が参加してお茶菓子を味わい、手芸や歌を楽しんだ。「まあ楽しい」「幸せ」。和やかな空間に明るい声が響く。「笑いが絶えない居場所」。参加した天川千佐子さん(77)=東区=はうれしそう。

 「子どもからお年寄りまで、いろんな年代の人が楽しく過ごせる場にできたら」。独りぼっちを生まない地域へ―。山田さんは願いを込め、参加者たちを笑顔で見送った。(小林可奈)

(2023年9月15日朝刊掲載)

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