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広島原爆記録写真―「きのこ雲」の下から 中国新聞・朝日新聞・毎日新聞・広島市が記憶遺産に共同申請

被爆の惨禍伝える1532枚

 原爆のきのこ雲の下で何が起きていたのか、共に世界に伝えよう―。中国新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、広島市の4者が、被爆直後の広島の写真1532枚を国連教育科学文化機関(ユネスコ)が実施する「世界の記憶」(世界記憶遺産)に共同で国内申請した。人類史上初の米軍の原爆投下が引き起こした惨禍をつぶさに伝える資料であり、決して繰り返してはならないと人類に警鐘を鳴らしている。申請した写真の一部を紹介する。(水川恭輔)

苦しむ被災者 焦土の街

カメラマンや市民 命懸けの記録

 写真1532枚は、広島に原爆が投下された1945年8月6日から12月末までに日本の市民たち27人と1機関が撮影した。米軍の空撮とは異なって被爆した人間の側から核兵器の実態を見た写真群であり、「広島原爆記録写真―『きのこ雲』の下から」と名付けて申請された。4者や撮影者の遺族らがネガやプリントを所有している。

 8月6日当日、いち早くシャッターを切ったのは、被爆した地元の人たちだった。当時歳の深田敏夫さん(2009年に80歳で死去)は爆心地から約2・7㌔の動員先で爆風に吹き飛ばされた後、ポケットに入れていたカメラを手にして湧き上がる雲を撮影した。

 中国新聞社の写真部員だった松重美人さん(05年に92歳で死去)も自宅で被爆した後、爆心地から約2・2㌔の御幸橋西詰めで負傷者を撮影した。被爆当日に生々しい市民の惨状をカメラで収めたのは、松重さんだけだ。この日のうちに計5枚を撮影している。

 中国新聞社は社員の約3分の1に当たる114人が被爆死し、市中心部の本社は全焼した。松重さんの5枚のほかに、社員が45年8月末までに市内の被害状況を撮影した写真はない。一方で他の報道機関の記者やカメラマンが県外から広島入りし、惨禍を記録した。

 朝日新聞大阪本社の写真部員だった宮武甫(はじめ)さん(85年に71歳で死去)は被爆3日後の9日に市内に入り、病院で手当を受ける少年や頭にけがを負った幼児を撮影。被爆から1週間以内の撮影者では最多の119枚が残る。

 同じく9日に入った毎日新聞大阪本社写真部の国平幸男さん(09年に92歳で死去)も、負傷した少女や同社支局付近の焼け跡にカメラを向けた。同じ時期、共同通信社の前身の同盟通信社の記者たちも市内で撮影している。

 幾多の市民が熱線と爆風で痛ましい傷を負っただけでなく、けがが比較的軽かった人も急性の放射線障害に襲われた。東京のカメラマンだった菊池俊吉さん(90年に74歳で死去)は10月、学術調査団に同行し、「原爆症」に苦しむ市民を写真に収めた。学校の救護所で床に伏す母子をはじめ、800枚以上を撮影した。

 今回申請した1532枚は、報道機関の所蔵写真、原爆資料館の展示や松重さんらで78年に結成した「広島原爆被災撮影者の会」が編んだ代表的な写真集などを参考に選んだ。報道機関と市が手をつなぎ、撮影者の遺族や広島大の協力も得た。45年12月末までに推計14万人(誤差±1万人)が犠牲となった被害実態を浮き彫りにする写真群を共に発信し、「世界の記憶」とすることで写真資料全体への世界の認識を高めることを目指している。

原爆文学や折り鶴も

広島市「全ての登録を期待」

 「世界の記憶」は世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進させようとユネスコが1992年に始めた事業の総称だ。95年から特に重要な記録物を国際的に登録する制度を実施し、今年6月現在494件が登録されている。

 登録審査は2年に1回で、1カ国からの推薦は国内審査で選ばれた2件以内。複数国からの共同申請は、この件数に縛られない。現在2025年の登録に向けた国内審査の時期で、日本政府は有識者の意見を踏まえて11月に推薦案件を決める。

 原爆関係では、市民団体「広島文学資料保全の会」も、原爆詩人の峠三吉、作家の原民喜ら4人の自筆原稿や日記など6点を広島市と共同申請した。平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの折り鶴と関連資料も、遺族が代表を務める団体と広島県、市などでつくる協議会とブラジルの団体が共同で申請した。

 記録写真を含めて3件とも共同申請に名を連ねる広島市は、登録を目指す民間主体の活動を個別に支援する方針という。原爆の関係資料は原爆資料館の所蔵分だけでも膨大で、市が基準を設けて主体的に申請資料を選ぶことは困難と考えていることなどが理由だ。

 市平和推進部は「3件とも被爆実態を伝える資料で『世界の記憶』の要件を満たすと考える。いずれも登録を期待している」とする。海外ではナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の関連資料として、「アンネの日記」、映画「ショア」の証言音声アーカイブ、戦後ドイツの裁判記録が個別に申請、登録されている。

【申請写真の撮影者】
 〈報道機関〉中国新聞社=松重美人、山田精三、山本儀江、谷川長次▽朝日新聞社=宮武甫、松本栄一▽毎日新聞社=国平幸男、山上圓太郎、新見達郎、渡辺喜四郎▽同盟通信社(共同通信社の前身)=中田左都男、佐伯敬
 〈東京のカメラマン〉菊池俊吉、林重男
 〈市民ら〉川原四儀、尾糠政美、尾木正己、鴉田藤太郎、川本俊雄、岸田貢宜、岸本吉太、北勲、木村権一、林寿麿、深田敏夫、松重三男、森本太一、陸軍船舶司令部写真班(敬称略)

(2023年9月18日朝刊掲載)

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