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検閲 本紙記事の76% GHQプレスコード 発令きょう78年 「違反」94本 言論統制厳しく

 連合国軍総司令部(GHQ)が日本の占領直後に敷いたプレスコードで、検閲された中国新聞の記事は少なくとも7万4126本あり、掲載記事の76・2%を占めていたことが本紙調査で分かった。うち原爆関連は45・1%が検閲を受けていた。「違反」とされた記事は全体で94本あった。プレスコードが発令されて19日で78年。地方紙にも及んだ厳しい言論統制の実態が浮かび上がった。(客員特別編集委員・籔井和夫)

 日本での検閲資料が多数保存されている米メリーランド大プランゲ文庫にある中国新聞紙面と、GHQの関連資料を調査。プランゲ文庫の新聞・雑誌情報などをまとめたNPO法人インテリジェンス研究所(東京)の「20世紀メディア情報データベース」とも突き合わせ、検閲状況を分析した。

 プランゲ文庫には1946年3月24日~49年10月13日の中国新聞紙面が保存されていた。欠落もあり、47年は約1カ月分しかなかった。確認できた記事は全9万7225本で、4分の3に当たる7万4126本が検閲を受けていた。

 うち原爆記事は1505本で、679本が検閲対象だった。対象外302本(20・1%)、紙面が残っていないため不明524本(34・8%)。

 プレスコード違反とされたのは記事94本と広告1本。うち原爆記事は1本で、広島市長が、海外へ復興支援を呼びかける許可をマッカーサー米元帥に要請したいとの短い記事(46年7月22日)。「マ司令部」(GHQ)との記述が原因だった。

 原爆関連以外で違反と指摘されたのは、東京裁判や労働組合のストライキ、戦地からの引き揚げ者などに関する記事や社説、コラムなどだった。

 GHQによる検閲は、プレスコード発令から約4年後の49年10月31日に終了した。52年4月のサンフランシスコ講和条約発効により日本は占領から脱した。

 調査結果について、占領期のメディア検閲に詳しい山本武利・早稲田大名誉教授は「プレスコードによる地方紙の検閲の実態を深掘りした意義は大きい。他の地方紙も取り組み、それぞれの検閲の全容解明に迫ってほしい」と話している。

プレスコード
 連合国軍総司令部(GHQ)による言論統制で、1945年9月19日に発令された。基準は「連合国に関し虚偽または破壊的批判をしてはならない」など10項目。新聞やラジオ報道のほか、雑誌や映画、電話、郵便、紙芝居なども対象になった。違反の有無についてGHQ傘下の民間検閲局(CCD)が検閲し、49年10月31日まで続いた。

(2023年9月19日朝刊掲載)

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