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連載・特集

ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード 第1部 原爆記事への監視 <3> 検閲の手引書

原爆報道懸念し追加

 連合国軍総司令部(GHQ)による検閲の初期、中国新聞の紙面には、その対象にならなかった原爆関連記事が71本載っていた。なぜ擦り抜けたのか。謎に迫る手掛かりは、メディア担当の検閲官向けの手引書にあった。

文書「キーログ」

 「キーログ」と呼ばれる文書と、それを補完する文書「キーログ補遺」の2種類。「GHQを批判してはならない」など10項目のプレスコードは抽象的だ。具体的な検閲マニュアルがキーログであり、その詳細版がキーログ補遺。いずれも必要に応じて改訂された。検閲官は両方に精通しなければならなかった。

 占領期のメディア検閲に詳しい山本武利早稲田大名誉教授が、著書で両文書の1948年1月2日版を紹介している。それぞれ25項目からなる。

 キーログには第21項に原爆関連の記述がある。「核兵器の実験やテストを行うエニウェトク環礁での実験場の建設や運営にかんするコメントや言及。核爆発の結果についての声明のコメントや言及」(原文ママ)

 補遺は同じく第21項で、報道禁止に該当する内容をさらに具体的に示す。中部太平洋のマーシャル諸島エニウェトク環礁での核実験については公的な発表に基づくよう限定。原爆投下の特徴や大衆の批判、爆弾の製造方法などに触れるニュースを禁じた。原爆の長期的な影響を巡っては、確実な予測が難しいとして報道を避けるよう指示した。

 これらの記事を扱う際、検閲官レベルで判断せず、GHQ内の経済科学局科学技術課の意見を聞くことも求めた。

 原爆記事の具体的な検閲方針が初めてキーログに載ったのはいつか。

48年1月が初か

 GHQ文書を調べると、47年12月31日付の「暫定キーログ」を見つけた。原爆の長期的影響に関する報道を避けることを追加する内容だった。暫定版は2日後、正式版として承認された。GHQの検閲に正月休みはなかった。

 それ以前では、同5月15日版、同9月15日版のキーログ文書を見つけたが、いずれも原爆に関わる記述はなかった。48年1月2日版で初めて登場したとみていい。

 この時、GHQが神経をとがらせていたのは原爆の長期的影響に関する報道だった。

 被爆から2年余り。被爆者の間で白血病など原爆の影響とみられる症状に関する記事が紙面に載り始めていた頃だ。GHQ内で新たな対応が必要と判断したのだろう。どんな記事が引き金になったのか。本紙はもちろん、全国紙なども調べたが、特定できなかった。

 原爆記事の検閲はキーログ改訂とともに厳しさを増した。本紙にもその影響が表れた。48年に掲載された原爆記事327本のうち検閲対象になったのは275本(検閲率84・1%)。46年の検閲率(55・0%)を大きく上回った。

(2023年9月22日朝刊掲載)

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