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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅷ <9> 小さな政府 金解禁 昭和恐慌の激化招く

 政友会の田中義一内閣が総辞職すると、元老の西園寺公望(きんもち)は次期首相に民政党総裁の浜口雄幸(おさち)を推す。昭和4(1929)年7月に浜口内閣が成立した。

 政権交代で政策は一変した。政友会の内政は積極予算の「大きな政府」で対外的には膨張主義。対する民政党は緊縮財政と協調外交を目指すリベラルな「小さな政府」志向だった。

 国際金融家で元日銀総裁の井上準之助が大蔵大臣に招かれ、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)が外務大臣に返り咲く。浜口内閣は対中国親善、緊縮財政、金(輸出)解禁などの基本政策を打ち出した。

 「小さな政府」は困窮者には優しくない。民政党前身の憲政会が中心の内閣で若槻礼次郎内務大臣は大正14(25)年、次のような国会答弁をしている。

 不況下の失業者増大を「やむを得ない」とし、救済には「財界の回復を速やかならしめて、彼らをして職を得さしむる事に努めるのが第一」と明言。財界支援策の優先を正当化した。

 法人税引き下げなどで企業がもうかれば皆が潤うとの政策は21世紀でも廃れず、格差拡大を助長すると批判されている。

 当時の国際的な課題は、第1次世界大戦で崩れた金本位制の再建だった。浜口内閣は昭和5(30)年1月、金解禁を実施して金本位制に復帰する。経済のグローバル化に対応した緊縮財政下で産業合理化を進め、経済の体質強化を図ろうとした。

 不運にも3カ月近く前、米国発の世界恐慌が始まっていた。金解禁による正貨流出が止まらず、デフレを助長して昭和恐慌が到来する。失業者が街にあふれ、労働争議が相次いだ。

 農村への打撃は深刻だった。生糸相場は5割下落し、米価も暴落。東北などで娘の身売りが続出した。広島県北の村民大会は地租減税などを求めた。財政難の政府も地租約15%の減税に応じざるを得なかった。

 「小さな政府」の失策は政党への信頼を失墜させ、軍部の政治介入を許す。(山城滋)

金解禁
 為替レートの安定をもたらして輸出増につなげる狙い。東洋経済新報の石橋湛山らは、政府がこだわる実情より円高の旧平価(解禁前の法定為替レート)での解禁はデフレを招くとし、実力に見合う新平価での解禁を主張した。

(2023年9月27日朝刊掲載)

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