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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅷ <14> 血盟団事件 「国内改造」目指し続くテロ

 昭和6(1931)年9月に満州事変が始まると、昭和恐慌と凶作にあえぐ農家出身者も動員された。青森連隊の兵士は父から届いた「必ず死んで帰れ」という手紙を泣いて中隊長に差し出す。戦死して国から出る金欲しさからで、この兵は次の戦闘でただ一人死んだ。

 歩兵砲隊長だった末松太平の記録にある。兵を通じ農村疲弊に直面した青年将校たちは、腐敗した政党や私利私欲に走る財閥の打倒を目指す。「国内改造」と呼ぶクーデターである。

 軍エリートの幕僚集団や民間右翼も国内改造を目指した。事変の勃発直後、幕僚たちが主導して大規模なクーデター計画を練る。政党や内閣の幹部、宮中側近ら「君側の奸(かん)」を襲撃して軍事政権を樹立する企て。10月事件と呼ばれた。

 青年将校たちは、料亭で大言壮語する幕僚の権力志向を嫌って離脱した。計画は発覚したが、陸軍中央に自浄作用はもはやなく大甘処分で済ませた。

 10月事件の不発を受け、日蓮宗布教師の井上日召(にっしょう)率いる血盟団の右翼青年たちが単独テロを決行する。昭和7(32)年2月9日夜、民政党内閣で金解禁を行った前大蔵大臣井上準之助を小沼正が銃で暗殺。「農民窮境の実情に憤慨した」と語った。

 続いて3月5日、三井財閥を統率する団琢磨(たくま)を暗殺した菱沼五郎の着用ワイシャツには、「南無妙法蓮華経」と墨書してあった。金解禁再停止を見越したドル買いで巨利を得たとして財閥批判が高まっていた。

 「万機公論ニ決スベシ」の御誓文から60年余。普通選挙で選ばれた議員による政党政治がようやく始まったばかりだった。浜口雄幸(おさち)首相の狙撃事件以来なぜテロが続くのか。

 東洋経済新報の石橋湛山は苦渋に満ちた社説を書いた。「我(わが)国には真のデモクラシーが成(なり)立っていないから、云(い)い換えれば政治に、言論に、真の自由、真に批評の精神が欠けているからだ」と。(山城滋)

血盟団事件
 井上日召はじめ14人が起訴された。無職青年や東京帝大、京都帝大生も。元老、首相、内大臣、前外務大臣らを「一人一殺」する計画。井上、小沼、菱沼は無期懲役となるが昭和15年に特赦で仮出所した。

(2023年10月5日朝刊掲載)

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