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位牌が伝える強制労働の悲劇 本願寺広島別院で「笹の墓標」巡回展

 戦時中、炭鉱やダム建設の現場で大勢の朝鮮半島出身者たちが犠牲となった強制労働の歴史を伝える全国巡回展が今月上旬、広島市中区の本願寺広島別院であった。位牌(いはい)や犠牲者の日用品が、失われた命の重さを伝えた。最終日の10日に本堂で営んだ追悼法要には約150人が参列し、平和への思いを新たにした。(山田祐)

「アジアの和解と友好へ努力」

 北海道幌加内(ほろかない)町の「笹(ささ)の墓標展示館」の所蔵資料を、実行委員会が巡回展示している。同町朱鞠内(しゅまりない)地区では1935年から、ダム建設と鉄道敷設の工事のため日本人を含む数千人が強制労働に従事させられた。終戦までに約250人が死亡したとされ、うち50人ほどが朝鮮半島出身者とみられている。

 犠牲者の遺骨を発掘し、韓国の遺族のもとに返還する取り組みを続けてきたグループが1995年、犠牲者の位牌があった地元の廃寺の本堂を活用し、笹の墓標展示館を開設した。日本や韓国、欧米の若者たちが集って遺骨を発掘する取り組みの拠点にもなっていたが2020年に大雪で倒壊し、翌年には庫裏も焼失した。

 広島での巡回展は22カ所目。同展示館の資料に加え、庄原市の高暮ダム建設であった同様の悲劇や、強制連行されて広島で被爆した人たちの苦難を伝える文面や写真も紹介した。

 追悼法要では、榮(さかえ)俊英輪番が「高暮ダム建設のため多くの強制労働犠牲者を出した広島の地で、追悼法要をお勤めできることは大変意義深い」と強調。浄土真宗の宗祖親鸞(しんらん)の「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」の言葉を引き、「命と平和の尊さを心に刻み、アジアの和解と友好に向けて不断の努力を続ける」と誓った。

 広島朝鮮初中高級学校(広島市東区)高級部の生徒全29人が、平和を願い「イムジン河」など2曲を合唱した。

 広島での展示の実行委員会メンバーで浄土真宗本願寺派永照寺(島根県飯南町)僧侶の吉川徹忍さん(74)=広島市東区=は、朱鞠内の遺骨発掘の代表者が大学時代の友人だった縁で、活動に長年協力してきた。「法要では大勢の人と心を一つにできた。今後も輪を広げていきたい」と話した。

若者らも遺骨発掘 学習会で思い共有

展示館再生実行委 金英鉉さん

  ≪広島別院での法要では、笹の墓標展示館再生実行委員会事務局を務める金英鉉(キン・ヨンヒョン)さん(38)が講演し、展示館の歩みや再建への思いを語った。≫

 朱鞠内の悲劇は戦後、長い間語られてきませんでした。状況が変わったきっかけは1976年、現場近くの無住寺で約80基の位牌が見つかったことです。

 北海道深川市でお寺の住職をしている殿平善彦さん(78)が朱鞠内を訪れた際、地元の人から「どうしたらいいのか分からない位牌がある」と相談を受けました。位牌に記された死亡年月日が、ダムと鉄道の工事期間と重なっていたのです。

 調査を進めたところ、遺体が埋葬された墓地の場所が分かりました。墓地と言っても、墓石もないようなところでした。笹が生い茂る中にたくさんの遺体が埋められていました。笹がまるで墓標のように立っていたことが、展示館の名称の由来です。

 80年代に1度中断した遺骨発掘は、97年から日韓の大学生を中心とする若者が手を携えて続けています。在日朝鮮人やアイヌ民族の人たちも参加してくれたことから、その取り組みを「東アジア共同ワークショップ」と名付けました。

 参加者は昼間の遺骨発掘作業に続き、夜には学習会や討論で思いを共有していました。それが笹の墓標展示館の大切な役割の一つになっていました。

 建物の再建に向けて、6千万円を目標に支援を募っています。巡回展もその一環でした。歴史を伝え、人々が交流する場を取り戻したいと願っています。

 今年は朝鮮人虐殺の悲劇があった関東大震災から100年ですが、強制労働を生んだ日本の植民地主義は今も続いています。朝鮮学校に向けられたヘイトスピーチなど、さまざまな差別があります。今の状況が続けば、また100年前と同じ状況に陥ってしまうのではないかと危惧しています。

 だからこそ、過去に学び、語り合いながら和解、未来の平和をつくっていかなければいけません。東アジアの希望の種となるよう、活動を続けていきます。

(2023年10月16日朝刊掲載)

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