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社説・コラム

[記者×思い] 「核なき世界」いつでもどこでも 東京支社 山瀬隆弘

  仕事後によく皇居前を歩く。都心の高層ビル群の明かりに安らぎを覚える。47歳。

 もやもやしている。この1カ月間、ずっとだ。9月9、10の両日にインド・ニューデリーであった20カ国・地域首脳会議(G20サミット)で岸田文雄首相は「核兵器のない世界」に言及しなかった。なぜ―。5月に広島市であった先進7カ国首脳会議(G7サミット)の成果をG20に「つなげる」と唱えていたのに。

 首相と一緒に現地入りして取材した。最初の討議後、政府関係者が同行記者へ首相の発言内容を説明した。そこに「核なき世界」はなかった。私は問うた。「核軍縮への言及は?」。回答を要約するとこうだ。「国際経済協力の会議なので核問題全般の話はしない」。取り付く島はなかった。

 だが思う。米中ロ英仏の核保有五大国が参加し、同じく保有国のインドが議長国を務めるサミットだ。世界唯一の戦争被爆国の代表として、爆心地を含む選挙区選出の首相として、被爆地の悲願に触れてほしかった。短い発言時間の中で他に言うべきことがあったのも分かる。それでも国内外で核軍縮・不拡散を積極的に語る首相に期待しただけに、寂しい。

 広島市内で育った私は小学生だった1980年代の平和教育が忘れられない。冷戦下、核戦争を本気で恐れた。今も教室で見たテレビ映像を思い出す。NHK制作の「地球炎上」。東京都心の上空で核兵器が爆発した際のシミュレーションに凍り付いた。ビル群を熱線が包み、衝撃波が全ての暮らしと経済活動を吹き飛ばす。広島の空を見上げるのも怖くなった。

 感想文を、わら半紙の裏面にまで書き殴った。「なぜ世界の政治家はこんな危険を放置するのか」といった内容と記憶する。広島サミットの成果に世界の首脳との「平和の誓い」の共有を挙げ、核軍縮をライフワークとする岸田首相。ならばTPO(時、場所、状況)を脇に置き、どんな国際会議でも主張する覚悟が見たい。被爆地の不安を小さくするために。

(2023年10月14日朝刊掲載)

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