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連載・特集

緑地帯 江刺昭子 大田洋子と私②

 大田文学との出会いは1957年秋、舟入高1年の文化祭。文芸班で「郷土作家の横顔」を企画し、鈴木三重吉、倉田百三、大田洋子を取り上げた。作家の親族を訪ねて聞いた話を、作品紹介とともに模造紙に書いて張り出し、ゆかりの品を展示した。ノンフィクションライターとして主に人物評伝を書いている私の原点といっていい。

 三重吉のめいと百三の妹は舟入高の前身の市立高女の出身で、すぐに連絡がとれ首尾よく取材もできた。難儀をしたのは大田の親族探し。市内にいるという妹の居所がわからない。浅野図書館長、作家の志条みよ子さん、「原爆一号」の吉川清さんらを訪ね歩いて、ようやく現在の中央公園の場所にあった基町住宅に住んでいることがわかった。のちに大田の「夕凪(ゆうなぎ)の街と人と 一九五三年の実態」の舞台になる場所で、数千軒の戦災者や引き揚げ者の住宅がひしめく道を探しあぐね、中川一枝さん宅に辿(たど)りついたが留守。ほとんどの家に電話がない時代で、翌日の夜、再び訪ねた。

 「姉は神経質で、鼻っぱしらが強い半面、臆病で泣き虫ですが、ねばり強さがあるので、現在のように成功したのだと思います」などと話してくれた。その記録は、舟入高の文芸誌「ZERO」6号の特集記事になっている。ちなみに、私は同誌と生徒会誌の「アカシヤ」に短編小説3本を載せている。以後、小説は書いたことがなく10代の私のささやかな足跡である。(ノンフィクション作家=横浜市)

(2023年10月17日朝刊掲載)

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