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連載・特集

緑地帯 江刺昭子 大田洋子と私①

 「広島文学資料保全の会」と広島市が共同で原爆文学をユネスコ「世界記憶遺産」への登録をめざし国内選考に申請した。過去2回の申請は栗原貞子、峠三吉、原民喜の詩や日記だったが、3回目の今回はこれに大田洋子の「屍(しかばね)の街」が加わった。同書は、広島市白島九軒町で被爆して傷を負い、何もかも失った大田が、少女時代を過ごした山村の玖島(現廿日市市)に避難した直後から書き始めた。河原で野宿し、市内を東から西へ横切りながら、見たままの被爆の惨状を刻んだ貴重な紙の碑である。

 避難先では6日をかろうじて生き延びた人がバタバタと死んでいった。それが放射線による後遺症とはわからない当時、大田も死の影に脅(おび)えながら3カ月後には書き上げた迫真のルポである。知人から鉛筆をもらい、ありあわせの障子紙やちり紙に書きつけたという。それを1948年に中央公論社から出版するにあたって書き直したとみられる自筆原稿を、現在は日本近代文学館(東京)が収蔵している。

 記憶遺産に申請するには原稿のデジタル化が必要で、「保全の会」から頼まれて私がその作業に立ち会った。60年前、東京中野区の大田家に下宿して2年近く共に暮らし、71年に「草饐(くさずえ) 評伝大田洋子」を書いた縁による。「屍の街」を初めて読んだのはそれよりさらに前の舟入高在学中のことだった。 (えさし・あきこ ノンフィクション作家=横浜市)

(2023年10月13日朝刊掲載)

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