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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 科学との向き合い方 不完全さと可能性 知った上で 広島大大学院准教授 中尾麻伊香さん

 原発問題や新型コロナウイルス禍をきっかけに、科学の限界や信頼性が改めて問われている。科学史が専門の中尾麻伊香広島大大学院准教授に、私たちは科学とどう向き合うべきか聞いた。(特別論説委員・宮崎智三、写真・高橋洋史)

  ―原爆や放射能に対する人々の認識の変遷が、研究テーマの一つなのですね。
 そうです。日本が被爆国になる前はおおむねポジティブに捉えられていました。特に原爆は敗色濃厚となった戦時中、もし手にしたら戦争に勝てる起死回生の新兵器と考えられ、期待されました。他にも放射性物質のラジウムは体に良い影響をもたらすと考えられ、大正期にラジウム温泉ブームを巻き起こしました。

  ―今とは随分違いますね。
 原爆投下後も占領中は原爆被害に関する報道は制限されていました。占領終結後に原爆被害は広く伝えられていきますが、人々の核兵器や放射能に対する意識が大きく変わったのは、1954年に米国のビキニ水爆実験で日本のマグロ漁船、第五福竜丸が被災した事件がきっかけです。

  ―原爆がきっかけではなく、水爆実験による被害が人々の意識を変えたのですか。
 ビキニ核実験の被害が報じられ、日本でも放射能を帯びた雨が降るなど、核兵器の脅威や放射線被曝(ひばく)の影響に対する関心が高まりました。

 どういう文脈で出来事が伝えられるかで、人々の受け止め方や行動も変わるのです。

  ―伝え方が鍵なのですか。
 はい。バービーと原爆が話題になったこの夏の「バーベンハイマー」騒動でも浮き彫りとなった日米の原爆観の相違は、原爆の歴史がどう伝えられるかが大きく関わっています。放射線に関する伝えられ方も一様ではなく、人々の認識に影響しています。

 例えば広島や長崎の原爆資料館では、原爆の放射線が人体にどのような悪影響を与えるかを科学的に説明する展示をしています。

  ―確かに原爆が他の爆弾に比べ非人道的なのは放射線被害を及ぼすからですね。
 ただ、原発のPR施設や、米国ラスベガスにある核実験博物館などでは、原爆資料館とは違い、放射線は身近な存在として伝えられています。それらの施設では、自分の体内から出る放射線を測る器具が置かれていて、入館者は実際に試すこともできます。

 博物館の立場によって展示が変わり、受ける印象も変わります。客観的だと装った説得の道具として、科学的説明が用いられているのです。

  ―立場によって伝え方が違うのは、放射線による人体影響の全容がまだ分からないことが影響しているのですか。
 それもあります。例えば放射線の遺伝的影響や低線量被曝を巡る問題です。遺伝学者はショウジョウバエなどの動物実験から遺伝的影響を示しました。被爆者を対象とした統計学的研究では遺伝的影響は認められていません。遺伝的影響がないと断定されたわけではなく、現在は被爆者とその子孫のゲノム解析が計画されています。

 低線量被曝の影響は、今日に至るまで科学者の間でも評価が分かれています。国や科学者が過小評価しているという批判もありますが、研究手法などの制約で明らかにできていない面もあります。科学は完全ではないからです。

  ―科学が結論を出せないのなら、信頼できないと考える人もいます。科学にどう向き合えば良いのでしょうか。
 今決着がつかなくても、研究の積み重ねの上に将来、分かる可能性もあると思います。しかし永遠に分からないこともあるでしょう。

 科学は万能ではない、と理解した上で付き合うことが大事だと考えます。科学者でも見解が分かれる問題は、科学的な議論で決着をつけるのではなく、価値観によって判断する必要があります。つまりどんな社会を目指すか、です。それは議論ができます。

 私たちは、科学そのものの知識は科学者にはかないません。しかし科学者も自分の専門分野に詳しいだけです。私たち一人一人がそれぞれの立場から、科学者に質問を投げかけたり議論を提起したりすることが大事だと思います。

なかお・まいか
 1982年ドイツ・キール生まれ。東京大大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は科学史・科学文化論。立命館大衣笠総合研究機構専門研究員、コロンビア大客員研究員、長崎大原爆後障害医療研究所助教などを経て2021年4月から現職。ドキュメンタリー映画「よみがえる京大サイクロトロン」も制作。著書に「核の誘惑」など。

(2023年10月18日朝刊掲載)

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