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連載・特集

緑地帯 江刺昭子 大田洋子と私③

 東京都中野区の大田洋子宅を訪ねたのは、大学3年の1962年。大田が下宿人を求めているのを不動産屋で見かけた友人からの情報だった。「あのときのことは妹から聞いてるわ。まあ、これがあんたなのね」と、中川一枝さんと私の制服姿の写真を見ながら、「原爆に遭っていますか」と聞いた。「広島に住んだのは戦後なので被爆していません」と答えると、「今でも放射能が残っていると言いますから気をつけてくださいね」と気遣い、間借りはその場で決まった。

 平屋建てで、玄関を入ってすぐの4畳半に私、廊下をはさんだ3畳に男子浪人生。その奥に応接間兼居間と、お手伝いさんの居室があり、さらにその奥に、あとから建て増した日当たりのよい8畳間があり、そこが作家の仕事場兼寝室だった。

 大田はこのとき58歳。のちに年譜を編んでわかるのだが、この年の仕事は文芸雑誌に短編小説と随筆を各2本、10月から絶筆になった「なぜその女は流転するか」の連載が始まっているが、これらの原稿料で生計を賄うのは厳しかっただろう。下宿代は貴重な収入源だったはずだ。それでもお手伝いさんなしでは身のまわりの始末ができない人だった。お手伝いさんは大田を尊敬して住み込んだ気立ての優しい人だが、没後、長い間、給料が未払いだったと聞いた。若い私は貧乏の苦さを知らず、女がペン一本で男社会を渡っていく苦労を知るのは、ずっとのちのことになる。(ノンフィクション作家=横浜市)

(2023年10月18日朝刊掲載)

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