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連載・特集

緑地帯 江刺昭子 大田洋子と私⑤

 大学卒業後、私は出版社に勤めたが、28歳で元同僚らと濤(なみ)書房を立ち上げ、勧められて書いたのが「草饐(くさずえ) 評伝大田洋子」で、1971年8月濤書房から出版した。以後、人物評伝と女性史専門のライター稼業だが、評伝は対象人物のプライバシーにずかずかと踏み込む。おかげで本には書けない秘密をどっさり抱え込んでしまった。

 晩年の大田洋子は終日机に向かっており、浮ついた様子はみじんもなかった。だが、29年に「女人芸術」でデビューし、戦時下に流行作家になるまでの転変はめまぐるしい。戸籍は動いていないが3度の結婚を公表している。最初は妻子ある人と子をもうけながら別れ、2度目は元改造社記者、3度目は江田島出身の共産党員。いずれも1、2年で破綻している。気になったのは2度目の相手で「槿花(きんか)」などにあしざまに書いている。

 この人に手紙を出したところ、便箋26枚にびっしり同棲から破局までのいきさつを書いてきた。一部を引用した本を送って1週間後の深夜、電話が鳴った。彼は名を名乗り、私の名を確かめ、大田と私の関係を尋ねたりしていたが、突然口調が変わった。「てめえは何だ! 大きなツラをしやがって。ちっと文壇に名が出たからって、威張るんじゃない!」。彼は酔っており、大田と私を混同したようだ。聞くに堪えない悪口雑言に私は受話器を握りしめて大田の代わりに罵倒されていた。しばらくして電話はプツリと切れ、以後、音信は絶えた。(ノンフィクション作家=横浜市)

(2023年10月20日朝刊掲載)

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