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連載・特集

『生きて』 作曲家 糀場富美子さん(1952年~) <1> 創作の原点 ヒロシマに生まれ育つ

 女性作曲家の先駆者である糀場(こうじば)富美子さん(71)=東京都練馬区=は、原爆から復興する広島の街でピアノと出合い、音楽の才能を開花させた。ヒロシマを題材とする作品は巨匠バーンスタインに高く評価され、世界中の楽団が演奏。音楽大の教壇に立ち、多くの後進も育てた。

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 今夏、広島市中区であった「平和の夕べ」コンサートで、広島交響楽団としては14年ぶりに「未風化の7つの横顔 ピアノとオーケストラのために」を演奏していただいた。3日間のリハーサルに立ち合い、本番は素晴らしい演奏でした。作曲家にとって、自分が書いた楽譜が音楽として響く瞬間は、何物にも代え難い喜びです。

 広響は私の音楽人生になくてはならない存在。小学生の頃から1人で演奏会を聴きに通っていました。両親は音楽に興味がなかったので、公演が終わったら迎えに来てもらって。高校1年のとき、広響の「第九」公演で、合唱団の一員としてステージに立った体験は宝です。

  ≪東京芸術大大学院修了の直後に書いた「広島レクイエム」で脚光を浴びた。その後、「未風化―」まで、原爆を題材とする作曲には20年の空白があった≫
 「未風化―」を作曲したきっかけは、今は亡き父が「語り部になりたい」と言い出したことです。家族みんながびっくりしました。父はそれまで「原爆に直接は遭っていない」と話していたので。3人の子どもの結婚に影響があってはと、長年黙っていたことを初めて知った。父のような人はたくさんいるに違いない。被爆体験を風化させてはならない―との思いに駆られ、五線紙に向かいました。

 原爆の悲惨な体験は、親戚や近所の商店街のおばちゃんから聞いて育ちました。私は終戦から7年後、広島駅近くの的場町で紳士服屋を営む両親の下、長女として生まれました。(この連載は報道センター文化担当・西村文が担当します)

(2023年10月24日朝刊掲載)

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