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連載・特集

緑地帯 江刺昭子 大田洋子と私⑧

 私は神奈川県内で読書会の講師を36年間続けている。年に1回は県内外の文学散歩に出かける。各地の文学館を中心に出身作家のゆかりの地を訪ねる旅だが、大都市の広島市に文学館が一つもないのが奇異でならない。「広島文学資料保全の会」が広島市に文学館の創設を働きかけて30年以上になるが、いまだにその動きはない。

 大田洋子らの原爆文学に限らないが、急がないと貴重な資料が散逸する。そこに行けば、絶版になって久しい大田文学に出会え、多様な視点での研究が進む。そういう場所がほしい。

 平和記念公園にある原民喜や峠三吉の詩碑は有名だが、大田の文学碑を知る人は少ない。かつての基町住宅跡にできた中央公園の空鞘橋近くに設置されていたが、サッカースタジアム建設中で現在は撤去されている。

 碑ができたのは1978年。広島では栗原貞子、東京では大田文学の復権に尽力した原爆文学研究者の長岡弘芳が熱心に呼びかけて実現した。「屍(しかばね)の街」の一節を刻んだ碑石を中心に、爆風の中の被爆者をシンボライズした15個の石が配置してある。デザインは四國五郎で、長男の光さんは著書「反戦平和の詩画人 四國五郎」に「街なかで戦争の『記憶を継承』するための装置」だとしている。碑が戻り、作家と画家がコラボした反戦反核のメッセージを多くの人に受けとめてほしい。碑の上を渡る川風に吹かれながら。 (ノンフィクション作家=横浜市)=おわり

(2023年10月25日朝刊掲載)

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