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反骨の画人 浜崎左髪子 泉美術館で回顧展 戦前戦後の広島 知られざる横顔

 戦前戦後の広島画壇で活躍した画家浜崎左髪子(さはつし)(1912~89年)。創作の全貌に迫る回顧展「広島を愛した反骨の画人」が、広島市西区の泉美術館で開催中だ。鋭い観察眼と奇抜な発想で、文筆家、デザイナーとしても活動した知られざる横顔に光を当てる。(木原由維)

 ピンク、白の梅の花をデザインした「平安堂梅坪」の包装紙を見たことのある人は多いだろう。左髪子は若い頃から画家としての実績を重ねながら、商業デザインでも存在感を発揮した。89年の死後は作品展示の機会が減り、次第に埋もれた。同館の永井明生学芸員は「戦前戦後の広島美術史に欠くことのできない一人」と着目し、近年調査を進めていた。

 ハワイで生まれた左髪子は、母親の死去に伴い3歳ごろに帰国。旧制広陵中美術部で活動し、卒業後は漢詩人で南画家でもあった伊藤鴛城(えんじょう)に師事した。初期の雅号は香浦、35年から左髪子。やがて中央美術展などで入選を重ね、頭角を現す。20、30代で2度にわたり戦地に赴き、中国河南省で終戦を迎えた。

 今回の回顧展は日本画を中心に、水墨画、素描、絵はがきなど約150点を展示している。南画を志していた香浦時代の「鷹図」(1933年ごろ)は初公開。墨で描いた松の幹に、羽の1片まで精密に彩色したタカが鮮やかに浮かび上がる。

 原爆投下の翌年に広島に戻り、絵筆で焼け野原と向き合った。「ヒロシマ」(73年)の画面いっぱいに広がるバラック街は深いれんが色。黒の輪郭線が力強い。

 広島市中心部にあった画廊「梟(ふくろう)」を好み、同い年の福井芳郎、船田玉樹と数多くの展覧会を開いた。本展にはオーナーの文筆家志條みよ子(1923~2013年)のコレクションから5点が並ぶ。「梟」「おしどり」などの鳥類は愛らしく、どこかとぼけた表情。志條が「ペン先から湧き出るように自由自在」と評した極彩色が華やかだ。

 晩年の主題は「人間」に集中する。群衆の密談を描いた大作「ただの酒」(1981年)は青灰色に染まった画面全体から、どろどろとした人間関係や社会の不条理への厳しい視線が伝わってくる。

 「自由な遊び族」と自称した。交友は広く、話題豊富だった。店先や玄関先でも小型絵馬を次々と仕上げ、その場で贈った。10年間で数万点を制作したと伝わる中から、一部を並べる。ぬくもりのある絵柄は、広島の民話や歴史を題材にしている。

 新聞に寄せたコラムは辛口で、時事への提言や人物評が多い。永井学芸員は「権勢にへつらわない姿勢や揺るがぬ価値観は、現在の私たちにも響く。作品の根底に流れる生きざまを感じてほしい」と語る。

 展覧会は中国新聞社などの主催で、12月3日まで。月曜休館。

(2023年10月27日朝刊掲載)

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