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連載・特集

緑地帯 朽木祥 記憶を伝える旅④

 アラブ首長国連邦でもドイツでも、講演には広島市からいただいた「原爆供養塔納骨名簿」のポスターを持参した。予想通り、大きな反応があった。

 犠牲者の名前がびっしり書かれたポスターを提示して、「どうして78年たった今でも、引き取り手のないお骨が800人以上もあるのでしょうか?」と問いかけてみたのだ。

 さまざまな答えが出た後で、生徒たちは「この人たちを知る人々もみんな犠牲になってしまったから」と気づく。このとき、原爆被害の凄(すさ)まじさがはっきり実感されることになる。

 インド系の生徒5千人が通うシャルジャ最大の学校でも、300人の生徒がヒロシマについて熱心に考え、活発に質問してくれた。少女たちの輝くような笑顔が、今も心に残っている。

 カルバという地の学校では、ポスターを食い入るように見つめる生徒たちがいた。ややふしぎに思っていたら、校長先生から説明があった。アラブ首長国連邦の子どもたちは、イエメン紛争で犠牲になった自国の兵士たち40人(69人という記録も)の名前を全て暗記しているのだという。

 驚いて、ポスター前にいた生徒たちに「全員を覚えているのですか?」と訊(き)いてみたら、うなずいて名前をあげ始めた。

 犠牲者を「数」で括(くく)るのではなく、ひとりひとりを心に留めて悼むことの大切さを、この国の子どもたちは既に知っていたのだった。 (作家=神奈川県鎌倉市)

(2023年11月1日朝刊掲載)

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