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「原田空襲」 つなぐ記憶 県内初の敵機空爆 小川さんが証言 身近にあった戦争「語り継いで」

 1944年11月に県内初めての空襲に遭ったとされる尾道市原田町(旧御調郡原田村)。当時、同町に住んでいた小川照子さん(86)=三原市本町=が空襲の記憶を証言した。「目撃者はもう自分しかいないかもしれない。史実を後世に伝えたい」と初めて取材に対して「あの日」を振り返った。

 県警の記録や旧原田小の学校沿革誌などによると、午前10時過ぎに上空にB29が飛来。焼夷(しょうい)弾12個を同小近くの山中に投下した。県内初の敵機空爆と記載している。

 小川さんは当時、原田国民学校1年で校長を務める父岡崎敏夫さん(75年に82歳で死去)たち家族と学校近くの教職員住宅に住んでいた。登校間もなく空襲警報が発令され児童が集団下校した後、学校近くの畑で先生たちのサツマイモ掘りを手伝っていた。

 空を見上げると爆撃機が飛んでいた。間もなく爆音が耳をつんざき、向かいの山から黄土色の土柱が上がるのが見えた。女性教員が慌てて避難のため柿の木の下に連れて行ってくれた。村は大騒ぎになったが、幸い人的被害はなかった。爆弾の破片は、自宅近くにしばらく置かれ、リンによるとみられる火が立ち上っていたという。

 制服を着た人が駆けつけ、空襲された理由を探るため敏夫さんが数日、尋問された。小川さんも家族がどうなるのか不安にかられた。結局、理由は分からないままだ。

 小川さんは県内の小学校で34年間教員を務めたが、児童にはほとんど経験を話さなかった。平和学習は広島の原爆被害が中心だった。「戦争が農村にも身近にあった。史実を語り継いでほしい」と願った。(持田謙二)

(2023年11月8日朝刊掲載)

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