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わずかに残る声 被爆の記憶紡ぐ パーキンソン病が進行 中区の新見さん

「伝えなければ」 口述記録重ねる

 パーキンソン病が進行し、発声や筆談が難しくなった被爆者の新見博三さん(84)=広島市中区=が、自らの被爆体験をオーラルヒストリー(口述記録)で後世に残そうとしている。「伝えなければ」の一心。わずかに残る声や文字盤を通じ、少しずつ「あの日」の記憶を紡ぐ。(頼金育美)

 「おかあさんが、ちだらけに」「はやくにげてと…」。新見さんは10月下旬、自宅で向き合った広島大平和センター研究員の嘉陽礼文さん(45)に、きのこ雲の下での惨状をかすれた声で伝えた。時折、机上の文字盤のひらがなを指すと、嘉陽さんが1文字ずつ声に出して確認し、ノートに記す。

 78年前、当時6歳の新見さんは爆心地から約1・7キロの平野町(現中区)の自宅で被爆した。家の下敷きになった母親をいったん置き去りに。後日に再会できたが、負い目になった。逃げる道すがら、黒焦げや血まみれの遺体を見た。

 脳裏に焼き付く光景を「原爆が二度と使われないように語り継ぎたい」と、2008年に平和記念公園(中区)のボランティアガイドになった。ただ、7年前に心臓を手術し、同じ頃にパーキンソン病も患った。声を失っていく中、自らの体験を記録に残したいと、平和活動を通じて知り合った嘉陽さんと共同で23年5月に口述記録作りを始めた。

 月2回程度、体調を考慮し、1回当たり約2時間。戦後、近所にいた原爆詩人・峠三吉との思い出など、伝えたい話は多く、終了時期はまだ見通せない。

 「あの日に苦しみながら亡くなった多くの方々のことを思うと、私はどれだけつらくとも、伝えなければ、という気持ちに駆られるのです」。そんな新見さんの強い思いを刻んだ記録を、嘉陽さんは「冊子にまとめ公開したい」と話している。

(2023年11月8日朝刊掲載)

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