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連載・特集

『生きて』 作曲家 糀場富美子さん(1952年~) <9> 広島レクイエム バーンスタインが絶賛

  ≪米国を代表する指揮者で、ミュージカル「ウエスト・サイド物語」を作曲したバーンスタイン(1918~90年)。平和活動に情熱を注ぎ、1985年にアテネ、広島、ブダペスト、ウィーンの4都市を巡って「平和コンサート」を開いた≫

 突然、東京の自宅に電話がかかってきました。「バーンスタインが糀場さんの『原爆の犠牲者に捧(ささ)げる哀歌』を気に入って、プログラムに入れることになった。僕が指揮します」と。電話の主は、小学生の頃、戸田繁子先生の教室で一緒に学んでいた大植(英次)君でした。もうびっくりですよ。

 ツアーのリハーサルはロンドンで。子どもが小さいので渡英は諦め、急いで改訂した楽譜を送りました。タイトルも「広島レクイエム」と改めました。

 8月4日、広島入りしたバーンスタインに初めて対面しました。被爆者が書いた作品だと思われていたようで、「若いね。もっと高齢者かと思っていたよ」と驚かれました。「とてもエモーショナルな良い曲だ」と褒めて頂きました。

  ≪公演は6、7の両日、広島郵便貯金会館(現上野学園ホール)で、欧州の若手オーケストラが演奏した≫

 バーンスタインがベートーベンの「レオノーレ序曲第3番」を振った後、大植君の指揮で広島レクイエムと、天才少女・五嶋みどりを迎えてモーツァルトのバイオリン協奏曲第5番。最後は、バーンスタインが自作「カディシュ」を振りました。

 リハーサルで驚いたのは、まずバーンスタインの「お話」があること。曲の成り立ちを、時間をかけて丁寧に説明していた。「さあ、はじめよう」とタクトを構えると、楽団員の表情が最初とは全然違う。ああいう指揮者はなかなかいません。

 本番は、戸田先生と両親にも聴いてもらえました。打ち上げでバーンスタインは法被を着てご機嫌でした。とにかく人が大好きでしたね。

(2023年11月8日朝刊掲載)

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