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連載・特集

『生きて』 作曲家 糀場富美子さん(1952年~) <10> カーネギー

米聴衆から盛大な拍手

  ≪「広島レクイエム」は広島での演奏後、小澤征爾さんの指揮によって米国で初演された≫

 1985年8月の広島平和コンサートで広島レクイエムが演奏された際、バーンスタインと親交のあった小澤さんがリハーサルを見学に来られていた。休憩時間、「楽譜くれない? 今度、できたら演奏したいから」と声をかけられて、びっくり。

 わずか4カ月後の12月、小澤さんが音楽監督を務めるボストン交響楽団による演奏が、本拠地ボストンとニューヨークのカーネギーホールで実現しました。10分ほどの短い曲なので、急きょ定期演奏会の冒頭に入れてもらえたのかもしれません。イタリアの名匠ポリーニがソリストを務めたショパンのピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキーの交響曲第6番との組み合わせでした。

 カーネギーは満員でした。原爆犠牲者のうめき、悲しみ、そして魂が天へと昇っていく情景が、小澤さんの素晴らしいタクトと演奏によって描き出され、感動しました。拍手を浴びながらステージに上がり、夢のような光景を目に焼き付けました。

 ≪91年、広島交響楽団が広島レクイエムをウィーンの国連本部で演奏、称賛された。しかし、95年の米ミネソタ州では「反発」に直面した≫

 広島レクイエムの世界初演を振ってくれた大植(英次)君が、ミネソタ管弦楽団の音楽監督に就任し、定演で取り上げてくれることになった。ちょうどその年、スミソニアン航空宇宙博物館で原爆展が中止に追い込まれる事件が起きた。

 ミネソタを訪れると、アジア系住民による抗議デモが起きていた。新聞記者から「日本人はアジアでやったことを謝りもせず、被害者であるかのように広島、長崎を持ち出す」と言われた。私はデモのリーダーに会って、作品に込めた思いを懸命に話した。当日、リーダーは演奏を聴いて拍手してくれた。音楽が思いを伝えてくれました。

(2023年11月9日朝刊掲載)

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