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連載・特集

緑地帯 永井明生 再発見・浜崎左髪子②

 浜崎左髪子は、1912(明治45)年、アメリカ・ハワイ島の東海岸にあるヒロ市で生まれた。

 浜崎家が暮らしていた仁保島村(現在の広島市南区)は、全国1位の移民送出県であった広島の中でも突出して移民数が多かった。左髪子の両親もハワイに渡り、母の逝去を機に家族は祖母が暮らす広島に戻った。左髪子3歳の頃という。

 ちなみに、左髪子より上の世代の画家では、広島に初めて本格的な洋画をもたらした人物として知られる小林千古(現在の廿日市市出身)がアメリカでの出稼ぎ労働を経験している。その他、金光松美やジミー・ツトム・ミリキタニなど、移民関連で洋行した広島ゆかりの画家についても、研究の深化が待たれるところである。

 広島弁を駆使する祖母は物知りで、幼少期の左髪子に大きな影響を与えた。祖母から聞いた逸話や民話などは、のちの左髪子の創作に色濃く反映することとなった。

 ハワイからの帰国は大型船による長旅である。どこまでも続く水平線や客室での喧騒(けんそう)などが、まだ3歳だった左髪子の記憶にどのくらい刻まれただろうか。

 仁保島村の景色や人々の暮らしは、感受性豊かな少年の原風景となり、のちの絵画制作の糧となったはずである。港に泊まる船を積み重なるように表したり、気性の荒そうな男性の群像を描いたりしたのは、心にしみ込んだ若き日の思い出がもとになっているのかもしれない。 (泉美術館学芸部長=尾道市)

(2023年11月10日朝刊掲載)

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