埋もれた歴史 ジェンダー視点で光 平井和子さん新著「占領下の女性たち」
23年11月10日
多様な暴力 支配の構造に迫る
広島市出身の女性史研究者平井和子さん(68)=静岡県=が、敗戦後の日本や旧満州(中国東北部)で、「性の防波堤」として米兵やソ連兵に差し出された女性に光を当て、「占領下の女性たち」(写真・岩波書店)にまとめた。ジェンダーの視点から膨大な資料を掘り起こし、占領下の多様な暴力の実態や構造を浮かび上がらせた労作だ。(森田裕美)
「一般婦女子を守るため」として、日本各地に設けられた占領軍向けの「慰安所」や旧満州でのソ連兵への「性接待」。敗戦国の女性が直面した性暴力の事実はかねて一部に語られてきたものの、長く歴史の暗部に埋もれてきた。
平井さんは本書で、こうした「性の防波堤」が、日本本土と旧満州でほぼ同時期に同じ発想で形成され、展開されたことに着目。公的な記録に加え、手記や手紙といった個人資料を読み込み、検証している。「戦勝国に女性を差し出した行為を、性暴力として捉え直したかった」と話す。
最初に示すのは、当時の日本政府が敗戦後間もなく、占領軍を先回りするように用意した「特殊慰安施設協会(RAA)」や「慰安所」の成り立ちだ。RAA幹部らはまず性売買経験者らを説き伏せ、足りない分は生活苦にあえぐ女性を募集。警察や業者らとも協働して各地に設けた。
その実情を、平井さんは個々の女性の「声」から明らかにしていく。占領軍の検閲記録に残された私信などを頼りに、米兵の相手をさせられた女性の言葉を丁寧に拾い集め、心情にも迫る。
立場の弱い一部の女性が「差し出される」構造は旧満州でも同じだった。平井さんは元関東軍兵士や満蒙(まんもう)開拓団員の手記、証言集などを調査。居留地の日本人会や開拓団のリーダーらが妻や娘の命を守る代償として、旧ソ連兵への「性接待」に性売買経験者の女性を説得したケースをはじめ多様な事例を紹介する。
引揚げ時の性暴力被害は他者による見聞が多く、本人証言がほぼないとされてきたが、平井さんは当事者の言葉も見つけ出し書き留めている。
彼女たちが占領者だけでなく、被占領者である日本の男性からも二重に支配を受けていた実態や、共同体の中での差別構造も見えてくる。
米軍基地の町で「貸席屋」の子どもとして育った男性からの聞き取りも興味深い。彼が描いた絵や証言からは、当時パンパン、オンリーなどと呼ばれた占領軍兵士と親密な関係になった女性の主体的な営為が見える。力関係に圧倒的な差があるなかで、強制か合意かという二者択一では語れない性暴力のグラデーションや輻輳(ふくそう)性も浮き彫りにする。
本書全体に貫かれているのは、敗戦や被占領といった国家や共同体の危機に、男性リーダーたちが取った手段への疑義である。平井さんは「軍事国家を支えた家父長的なジェンダー観や貞操を女の価値とする認識」の下で、「女性を守るべき者と差し出す者に二分して支配した」と批判する。
「差し出された」女性は「尊い犠牲」とまつりあげられながらさげすまれ、戦後沈黙を強いられた。彼女らへの性暴力は問題化されず「なかったこと」にされてきた。
「戦後史の中に居場所を与えられていない女性たちの生きた証しを残したい」と平井さん。「国家や軍が体制を守るため彼女たちを盾にした歴史的経験を私たちは忘れてはならない」と訴える。
(2023年11月10日朝刊掲載)