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平和公園 入魂の設計 故丹下氏 60年前の写真見つかる

■記者 水川恭輔

 被爆地広島の復興の象徴、平和記念公園(広島市中区)の設計風景を収めた60年前の写真が、東京都内で保管されていることが15日、分かった。後に世界的建築家となる設計者の丹下健三氏(1913~2005年)が模型を眺めるカットなど10点。市公文書館は「これまで確認されていない写真で復興の重要な場面の貴重な資料」としている。

 市が公園の設計競技を実施した1949年の撮影。東京大助教授だった丹下氏からの依頼を受け、公園と原爆資料館の模型を作った植野石膏模型製作所(東京都新宿区)が保管していた。

 丹下氏が公園の模型を眺めている写真は同社の当時の工房で撮られた。模型には、現在の原爆慰霊碑の場所に当初計画されていた平和記念の巨大アーチもある。アーチは高さ60メートル、幅120メートルの構想だった。現在の原爆資料館東館の位置に建設した平和記念館の模型を、同社から東京大までリヤカーで運んでいるとみられる場面もある。

 今年は公園整備の原動力となった広島平和記念都市建設法の公布60周年。市公文書館は18日から8月9日まで平和記念公園と丹下氏に関する企画展を原爆資料館で開き、1月に内容が判明した丹下氏の設計当時の書簡を初めて一般公開する。

 今回確認された写真も急きょ、画像データの提供を受けて展示する同館は「復興の中心施設が図面から立ち上がっていく瞬間を記録した貴重な資料。工房の様子やリヤカーから戦後まもない雰囲気も伝わる」と説明している。

平和記念公園
 広島市が原爆で壊滅した旧中島地区に戦後間もなく建設を構想し、1949年4月に全国から設計案を募集。同年8月6日、145点の応募作から丹下氏の作品を採用した。原爆ドームを被爆の記憶の象徴とし、原爆慰霊碑、原爆資料館を同じ直線上に配置したのが特徴。55年までに資料館などの施設が完成した。資料館は2006年に国の重要文化財、公園は07年に国の名勝に指定された。

(2009年7月16日朝刊掲載)

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