苦悩とともに和解を追って カナダの日系作家 ジョイ・コガワさん 迫害受けた歴史… 「失われた祖国」邦訳40年
23年11月11日
「敵性外国人」の一人として収容所で少女時代を過ごし、戦後はリドレス(名誉回復)運動に関わったカナダの日系2世作家ジョイ・コガワさん(88)が先月来日し、福岡市内で中国新聞の取材に応じた。自伝的小説「失われた祖国」の邦訳から40年。「デビュー作だからわが子のようです。苦しみながら一緒に成長してきた」と振り返った。(客員特別編集委員・佐田尾信作)
コガワさんは1935年にバンクーバーで生まれ、カナダ聖公会司祭の父は愛媛県大洲市出身、母は金沢市出身。第2次大戦中、一家は多くの日系人とともに内陸のゴーストタウンに連行され、財産も没収される。これは重大な人権侵害で人種差別だったとコガワさんら2世、3世が告発を続け、カナダ政府は88年に謝罪と補償を決定した。
81年に自伝的小説「OBASAN」を発表して権威ある全米図書賞などを受賞する。この作品は「失われた祖国」と題して83年に邦訳。2019年に邦訳された「長崎への道(原題Gently to Nagasaki)」では永井隆医師や原爆投下爆撃機の搭乗員たちの内面に分け入って「ナガサキ」を巡る痛みとは何か、問いかけた。北米移民史研究者の和泉真澄同志社大教授は「絶対不可能に思える和解や癒やしを、苦悩のうちにコガワは追い続ける」と邦訳の解説に記している。
コガワさんには亡き父がもたらした一つの苦悩がある。日系社会で慕われた父が幼児性愛者だったことだ。この事実が明るみになった時は、幼い彼女が過ごした生家を史跡として保存する運動に反対の声が上がり、自身も批判の矢面に立った。
「被害に遭った少年たちの痛みを思えば、父をゆるしてもらおうとは思わないが、私は今も父を愛している。愛をもって真実に迫りたい」。コガワさんはこみ上げるものを抑えながら答えた。
子どもや女性、先住民など弱き者への作家としてのまなざしは一貫している。今起きているウクライナやパレスチナの危機も弱き者に犠牲を強いる。「始まりは全て小さい。小さな『崩れ』に気づかなければいけない」
カナダへの移民は1877年に始まり、主に西海岸ブリティッシュ・コロンビア州に広島県、滋賀県、和歌山県などから労働者として渡航した。14歳だったコガワさんの父もまた、わら草履を履いて郷里の赤土の山道を踏み、海に向かったという。1世たちが忘れなかった美風は語り継ぎたいとコガワさんは考える。4年後にはカナダ移民150年の節目を迎える。
◇
コガワさんは周南市でカナダの日系1世を支える活動を長く続けた福岡市の浅海道子さん(80)の招きで同市内に滞在した。浅海さんは「OBASAN」を児童向けに改めた「ナオミの道」を邦訳している。
(2023年11月11日朝刊掲載)
コガワさんは1935年にバンクーバーで生まれ、カナダ聖公会司祭の父は愛媛県大洲市出身、母は金沢市出身。第2次大戦中、一家は多くの日系人とともに内陸のゴーストタウンに連行され、財産も没収される。これは重大な人権侵害で人種差別だったとコガワさんら2世、3世が告発を続け、カナダ政府は88年に謝罪と補償を決定した。
81年に自伝的小説「OBASAN」を発表して権威ある全米図書賞などを受賞する。この作品は「失われた祖国」と題して83年に邦訳。2019年に邦訳された「長崎への道(原題Gently to Nagasaki)」では永井隆医師や原爆投下爆撃機の搭乗員たちの内面に分け入って「ナガサキ」を巡る痛みとは何か、問いかけた。北米移民史研究者の和泉真澄同志社大教授は「絶対不可能に思える和解や癒やしを、苦悩のうちにコガワは追い続ける」と邦訳の解説に記している。
コガワさんには亡き父がもたらした一つの苦悩がある。日系社会で慕われた父が幼児性愛者だったことだ。この事実が明るみになった時は、幼い彼女が過ごした生家を史跡として保存する運動に反対の声が上がり、自身も批判の矢面に立った。
「被害に遭った少年たちの痛みを思えば、父をゆるしてもらおうとは思わないが、私は今も父を愛している。愛をもって真実に迫りたい」。コガワさんはこみ上げるものを抑えながら答えた。
子どもや女性、先住民など弱き者への作家としてのまなざしは一貫している。今起きているウクライナやパレスチナの危機も弱き者に犠牲を強いる。「始まりは全て小さい。小さな『崩れ』に気づかなければいけない」
カナダへの移民は1877年に始まり、主に西海岸ブリティッシュ・コロンビア州に広島県、滋賀県、和歌山県などから労働者として渡航した。14歳だったコガワさんの父もまた、わら草履を履いて郷里の赤土の山道を踏み、海に向かったという。1世たちが忘れなかった美風は語り継ぎたいとコガワさんは考える。4年後にはカナダ移民150年の節目を迎える。
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コガワさんは周南市でカナダの日系1世を支える活動を長く続けた福岡市の浅海道子さん(80)の招きで同市内に滞在した。浅海さんは「OBASAN」を児童向けに改めた「ナオミの道」を邦訳している。
(2023年11月11日朝刊掲載)