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連載・特集

緑地帯 永井明生 再発見・浜崎左髪子④

 今春、泉美術館で「中丸雪生(せっせい)と交友の画家たち」という展覧会を開催した。家業を継ぐために画家の夢を諦めた中丸雪生が、親しく交流していた画家たちを支援する側に回った様子を、十余人の絵画作品や書簡などによってたどる内容であった。

 左髪子も、戦前戦後を通じて雪生と良好な関係を結んでいる。今回の展覧会では、新出の資料として、雪生に宛てた1945(昭和20)年の軍事郵便3通を紹介することができた。

 左髪子は39(同14)年と44(同19)年の2度、従軍のため中国大陸に渡っている。当時の様子は不明な点が多いが、手紙に書かれた断片的な言葉やスケッチから、戦地での左髪子の足跡をうかがい知ることができ、大変貴重である。

 今回展示している軍事郵便は終戦が間近に迫る時期のもの。左髪子の元にも海をこえて東京大空襲のニュースが届いたのだろうか、「丸木君の東京家等皆ガラスが飛んで骨だけに成つて居る事と思ひます」との記述も見える。ちなみに丸木位里は都内から埼玉県浦和市に疎開しており、無事であった。

 また、同じく雪生に宛てた書簡の住所から、左髪子が材木町に住んでいたことも明らかになった。調査の過程で、その家は現在の原爆資料館あたりであることも判明した。2度目の従軍により同地を離れ、リヨ子夫人も原爆による被害は逃れたが、爆心地の近くに住んでいた当時の友人知人の多くが命を奪われたのである。 (泉美術館学芸部長=尾道市)

(2023年11月14日朝刊掲載)

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