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100歳の命 疎開先に感謝 東京の松田さん 77年ぶり廿日市訪問 長男伴い遺族と対面

 東京都の被爆者、松田帛子(きぬこ)さん(100)が14日、原爆投下時に疎開していた廿日市市上平良の光井正さん(2002年に79歳で死去)方を77年ぶりに訪れた。「生きていられるのはここで受け入れてもらったおかげ」。今も暮らす遺族へ、感謝の思いを伝えた。

 帛子さんは、光井さん方で生まれた長男の隆夫さん(77)を伴って訪問。土間や梁(はり)に当時の面影が残る古い民家の玄関をくぐると、「『おっぱいが出んとだめだから』としっかり食べさせてもらったんよ」と感慨深げに語った。光井さんの次女で住み継いでいる松坂直子さん(74)とも対面を果たした。

 疎開前、帛子さんは広島市千田町(現中区)の実家で母と、夫正夫さん(01年に82歳で死去)と3人で暮らしていた。隆夫さんを身ごもっていたため、一人だけ1945年7月に当時の平良村の光井さん方へ逃れた。夫のつてとみられるが、詳しい経緯をよく覚えていない。

 8月6日には自宅で被爆した夫と母も光井さん方に避難。約3日後、帛子さんは自宅の状況を確認するために入市被爆した。胎内被爆した隆夫さんが46年3月に生まれた後、夏に親戚を頼って上京するまで、一家は光井さん方に身を寄せた。近所の人も野菜を分けてくれるなど、世話を焼いてくれたという。

 帛子さんは今夏の平和記念式典で東京都の遺族代表となったのを機に、光井さん方を訪ねようと思い立った。中国新聞記者が協力し、「平良村の速谷神社近くの光井さん」という記憶を頼りに、探し当てた。

 この日は、一家を受け入れた正さんが眠る光井家の墓にも立ち寄り、花を手向けた。直子さんは「お墓の中で『来てくれてありがとう』と言っていると思う」と喜んだ。

 「母は年齢的にも最後の機会だと思う」と隆夫さん。「私が一人前に育ったのは光井家のおかげです」と感謝し、親子で静かに手を合わせた。(野平慧一)

(2023年11月15日朝刊掲載)

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