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連載・特集

緑地帯 永井明生 再発見・浜崎左髪子⑦

 広島市中区立町の繁華街にかつて「なめくじ横丁」と呼ばれる一角があり、そこに画廊「梟(ふくろう)」があった。オーナーは文筆家の志條みよ子で、戦後まもなく開いた酒場を改装し、1966(昭和41)年に念願のギャラリーとして開業したのである。

 記念すべき最初の企画展として日本画・洋画郷土代表作家展が開催され、洋画家の小林和作や太田忠らとともに左髪子も出品した。86(同61)年に閉廊するまでの間、広島の美術史を彩る多くの作家が展覧会を開催。左髪子もここで数多くの個展をし、同い年の福井芳郎や船田玉樹とは繰り返しグループ展を行って刺激し合った。また、若い芸術家にもエールを送り続けた。

 生前の左髪子をよく知る画家の田谷行平によると、左髪子と玉樹はよくけんかしていたが、いつもすぐに仲直りしていたそうだ。揺るがぬ信念がぶつかり合って火花を散らしつつ、同時にお互いをリスペクトしていたということだろう。

 オーナーの志條もまた、さまざまなテーマを設定した企画展で画家たちに制作を促し、切磋琢磨(せっさたくま)の場を提供した。田谷は「頭の先から足の先まですべてアーティストでないといけない」と志條や左髪子をはじめとする先輩の画家からいつも言われ、それを当たり前のように思ってきたという。

 志條みよ子の愛蔵した作品(梟コレクション)約200点は、現在アートギャラリーミヤウチ(廿日市市)が収蔵している。(泉美術館学芸部長=尾道市)

(2023年11月17日朝刊掲載)

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