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連載・特集

『生きて』 作曲家 糀場富美子さん(1952年~) <15> 退任 新しい音楽を追い続け

  ≪今春、42年間勤めた東京音楽大を退任。室内楽の代表作を若手演奏家が奏でた「退任記念コンサート」は、早々に前売りが完売。大勢の門下生が集った≫
 コンサートは感動しました。還暦の時は学生たちがオーケストラを結成して、管弦楽作品の演奏会を開いてくれました。

 退任後も忙しさは変わらず、客員教授として講義やレッスンを担当しています。若い人が書く音楽は面白い。「へえ、こんな音響を使うんだ」と演奏会で驚くことも多い。

 9月、とてもショックな出来事がありました。同僚の教授で「N響アワー」の司会でも知られた作曲家の西村朗さんが病気で亡くなった。日がたつにつれて思い出されることが次々と…。東京芸大の1学年下でした。互いに東京音大の教員になり、よく話をするようになりました。

 西村さんが突然言ったことがありました。「真っ白な五線紙を前に書くことができず、もう死のうかと思ったことがある」と。彼ほど突き詰めたことがあっただろうか…と自問しました。逆に「お母さんご飯!」と呼ばれて作曲を中断し、台所に立つことで、精神的に救われていたのかもと気付きました。何よりも自分の音楽を愛した人でした。「どうして劇伴を書かないの?」と聞くと、「僕が書いた曲に映像が合わせてくれるならいいけど」と笑っていました。

 今でも自作の初演に立ち会うときの感動は、大学4年で初めて芸大フィルに演奏してもらったときと同じ。学生時代から多くの方々に委嘱をいただき、勉強する機会を与えられたことに感謝です。作曲をずっと続けてこられて幸せでした。

 大作曲家のヴェルディは80歳で書いた最後のオペラの中で、新しい音響に挑戦した。若い人から刺激を受けながら、私はこれからも書いていきます。=おわり (この連載は報道センター文化担当・西村文が担当しました)

(2023年11月17日朝刊掲載)

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