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社説・コラム

[A Book for Peace 森田裕美 この一冊] 読書の秋スペシャル 続く戦禍 大人にこそ寓話を

絵本で考える他者の痛み

 地元の小学校で、読み聞かせボランティアを続けている。読むのは主に絵本。時季や学年に合わせ幅広いテーマから選んでいるが、とりわけ意識するのが社会情勢だ。

 世界では今、あまたの命が奪われている。ロシアによるウクライナ侵攻は続き、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃は激しさを増す。いずれの地でも、核兵器使用が軽々しくほのめかされた。

 遠く離れた国や地域の戦争も私たちに無関係ではないと、子どもたちに知ってほしくて折々に核や戦争がテーマの絵本を取り上げている。だが読みながら思う。こうした絵本を読むべきは、大人の方ではないのかと―。

 古今東西、「平和」を考えるにふさわしい絵本は数知れない。原爆、空襲、ホロコースト、植民地支配、戦時性暴力…。作者が自身の戦争体験を描いた作品など個別具体な歴史の悲劇を伝える絵本は、過去の記憶をぐっと今に引き寄せてくれる。

 加えてお薦めしたいのが寓話(ぐうわ)絵本だ。今回は、特定の場所を描かずとも、短い言葉と絵で読者の想像力に働きかけてくれる作品をピックアップした。読書の秋。絵本を通して、世界の今や自分の足元を見つめてみませんか。

 連日報じられるガザの惨状。胸が締め付けられると同時に、こうなるまで私はどれだけパレスチナに関心を向けていたかと省みる。

 日常生活の中で視野に入らない他者の痛みに、想像力を働かせるのは容易ではない。物理的な距離があれば、なおさらだろう。

 「ぼくがラーメンたべてるとき」(長谷川義史・作、教育画劇)は、自分がラーメンを食べている今この瞬間、隣の人、その隣の人、海の向こうの人のことを考えてみる。視野と想像力を広げる出発点になる。

 外に目をやることは、享受する平和を見つめ直すことにもつながる。「へいわってどんなこと?」(浜田桂子・作、童心社)は、平和という抽象的な概念の具現化を助けてくれる。

 平和と対比される戦争は究極の殺し合いだ。〈せんそうって べんりだね、ひとを ころしても だれにも しかられない〉。詩人の言葉が胸に突き刺さる。「せんそうごっこ」(谷川俊太郎・文、三輪滋・絵、いそっぷ社)はポップな絵と共に、戦争の「悪」を強烈に印象づける一冊だ。

 殺し合いがいいと思う人なんていないはずなのに、なぜ人類は戦争を繰り返すのか。昨年本欄でも紹介した「六にんの男たち」(デビッド・マッキー作、中村こうぞう訳、偕成社)がそれに答えてくれる。誰もが平和を求めていたはずなのに、人間の疑心暗鬼や欲望が軍備を太らせ、戦争を招く。

 「世界で最後の花 絵のついた寓話」(ジェームズ・サーバー作、村上春樹訳、ポプラ社)には、冒頭から驚く。場面が「第十二次世界大戦」でズタズタになった地球だからだ。米誌ニューヨーカーで活躍した著者が第2次大戦の開戦直前、切実な思いを込め世に送り出した作品。村上春樹氏の新訳で復刊した。

 人間社会の軍拡競争と二重写しになるのは、「もっとおおきなたいほうを」(二見正直・作、福音館書店)。王様とキツネが大砲の大きさや数を競い合い、エスカレートしていくさまを滑稽に伝える。

 一部の人間が扇動した争いが激化し、誰も止められなくなる様子を描くのは、「キンコンカンせんそう」(ジャンニ・ロダーリ文、ペフ絵、アーサー・ビナード訳、講談社)も同じ。人間の愚行をユーモアで戒めている。

 戦争を始める為政者はしばしば「自国を守る」「平和のため」といった大義名分を掲げる。だが犠牲になるのは誰だろう。「せんそうしない」(谷川俊太郎・文、江頭路子・絵、講談社)は、子どもの目線から大人を問う。果たして他者との間に線を引いて自分や味方だけ守る行為が、平和と言えるのだろうか。

 「3びきのかわいいオオカミ」(ユージーン・トリビザス文、ヘレン・オクセンバリー絵、こだまともこ訳、冨山房)は「3びきのこぶた」のパロディーのようでいて示唆に富む。

 れんがの家に暮らす3匹のオオカミの前に現れるのは極悪非道の大ブタ。大づちを振り回してれんがの家を破壊し、3匹がコンクリートの家を建てて対抗すると今度は電気ドリルで砕く。鉄骨や鉄板で防衛すると、ダイナマイトで爆破。いたちごっこの末に3匹は気付く。暴力や破壊を繰り返す相手に力で対抗しても、解決にはならないことに。

 力によらない解決を示すのは「そらいろ男爵」(ジル・ボム文、ティエリー・デデュー絵、中島さおり訳、主婦の友社)。戦いに参加せざるを得なくなった本好きの男爵は、爆弾のかわりに書庫の本をどんどん投下する。敵兵は本に夢中になって―。地球上の爆弾をすべて本に変えられたら、どんなにいいだろうか。

これも!

 「責任」について考える絵本も紹介したい。「二番目の悪者」(林木林・文、庄野ナホコ・絵、小さい書房)は、ネット社会の今を逆照射する空恐ろしい寓話だ。

 自信家の金のライオンは、自分が王座に就くため、心優しく人望のある銀のライオンをおとしめるうわさを流す。ほかの動物はいぶかしみながら真偽を確かめずに拡散。結果、金のライオンが好き勝手に国を治め、よその国と戦争まで始める。

 果たして悪者は金のライオンだけなのか。表紙には「考えない、行動しない、という罪」との言葉。逆に言えば、自分の頭で考え行動すれば平和を生み出す力にもなる。

 傍観者でいること、何もしないでいることの罪を考えさせるのは、「わたしのせいじゃない」(レイフ・クリスチャンソン文、ディック・ステンベリ絵、にもんじまさあき訳、岩崎書店)。描かれるのは学校でのいじめの責任のなすり合いだが、過去の戦争に加担した「不作為」の罪にも思いが至る。

(2023年11月20日朝刊掲載)

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