[無言の証人] 戦時石鹸
23年11月20日
高熱火災でも溶けず
縦4・5センチ、横7センチほどの、化石のような黒ずんだ褐色の塊。表面に刻まれた「戦時石鹸(せっけん)」という文字がくっきり見える。
爆心地から約1・9キロ、白島九軒町(現中区)にあった山岡吉夫さん=当時(29)=の自宅焼け跡から発見されたせっけんだという。
原爆資料館(広島市中区)によると寄贈者は山岡さんだが、受け入れ年月日など詳細は不明だ。
せっけんが原爆による高熱火災でも溶けなかったのは、成分の油脂が少なかったせいだろう。
戦局の悪化に伴う物資不足で、せっけんの原料となる油脂が極度に足りなくなっていた当時、庶民に配給されたのが、この「戦時石鹸」である。
せっけん成分はわずかで、粘土や白陶土が主成分だったとみられている。顔や体を洗うのも洗濯するのも一つのせっけんで済ませた。そんなつつましやかな市民の暮らしを、一発の原爆は、根こそぎ奪い去った。(森田裕美)
(2023年11月20日朝刊掲載)