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連載・特集

緑地帯 永井明生 再発見・浜崎左髪子⑧

 浜崎左髪子は、1981(昭和56)年の冬に大病を患い入院、その後はほとんど絵を描くことができず、約8年後の89(平成元)年に逝去している。その間、広島のアートシーンで取り上げられる機会が減り、没後もまた左髪子の重要な足跡が正しく評価されないまま、現在に至っているのではないだろうか。決して十分とは言えないが、今回の展覧会で、左髪子の人と芸術について紹介できたことは幸いであった。

 展覧会を開催すると、しばしば貴重な情報が寄せられて、非常にありがたい。左髪子が戦後に描いた「原爆一年後の廣島」の画面左下には「三角屋のうどん跡」との書き込みがある。来館者のお一人が当時の復元地図をもとに、元安橋西詰めからほど近い場所に「三国屋」「うどんや」の記載があることを教えてくださった。「角」と「国」の違いはあれ、まさにこの場所を左髪子が描いた可能性は高い。

 左髪子の創作の根底には、青年期を過ごした広島の街の記憶があり、それらが戦争によって破壊され、さらに戦後の復興によって次々と姿を変えつつあることに対する哀惜の念があったように思われる。だからこそ、移ろいゆく広島の街を見つめながら、飽くことなく絵画や文章で、古き良き広島の魅力を発信し続けたのだろう。

 今後、左髪子の優れた業績があらためて認知され、広島の美術史の中に正当に位置づけられるための端緒となることを祈っている。(泉美術館学芸部長=尾道市)=おわり

(2023年11月18日朝刊掲載)

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