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連載・特集

響け、あしたへ エリザベト音楽大75周年 <上> 焼け野原からの建学

 エリザベト音楽大(広島市中区)が創立75周年を迎えた。被爆から2年後、焼け野原となった広島市幟町(現中区)で生まれた小さな音楽教室は、中四国・九州地方で唯一、博士課程を併設する音楽大へと発展した。少子化の逆風が吹く中、地域に根差して歩み続ける音大の今をみる。(桑島美帆)

「広島に希望を」 思い熱く

 「私がこの隣の大部屋で音楽教室を始めたらどうでしょうか?」―。1947年のある朝、バラック建ての幟町教会司祭館で食事中、エルネスト・ゴーセンス神父(08~73年)は、上司のフーベルト・チースリク神父(98年に84歳で死去)に尋ねた。

 ベルギー出身のゴーセンス神父は40年に来日し、幟町教会の司祭を務めた。太平洋戦争が勃発すると、敵国の捕虜として三次や埼玉の収容所に抑留され、終戦後に渡米。音楽学校で学び直した後、47年春から再び幟町教会へ赴任した。

 布教拠点の再建を急いでいたイエズス会にとって音楽教室は想定外。だが、自らも被爆したドイツ出身のチースリク神父は「布教活動として」許可することにした。

 郊外の長束修練院へ疎開させていたアップライトピアノを司祭館へ戻し、地域の音楽家を集めて47年9月、ピアノやバイオリンを教える「広島音楽教室」を開設。戦時中に娯楽を禁じられ、我慢を強いられていたせいか、老若男女100人余りの応募が殺到し、教室は活気にあふれたという。

 48年4月、県の認可を得て「広島音楽学校」へ昇格し、学校としての歴史をスタートさせた。52年にはエリザベト音楽短期大が誕生する。「経済的困難を忘れて、芸術と宗教の理想に生きる」―。学長に就いたゴーセンス神父は、同郷の作曲家でオルガニストだったセザール・フランク(1822~90年)の生き方を理想とし、宗教音楽に欠かせないパイプオルガンの奏者育成に力を入れた。

 千年以上前に西欧で生まれたグレゴリオ聖歌もカリキュラムの軸に据えた。短大1期生の水嶋良雄さん(エリザベト音大名誉教授、2017年に86歳で死去)は、欧州でグレゴリオ聖歌の研究を修め、母校の宗教音楽学科の礎を築く。

 61年に声楽科に入学した森佳代子さん(81)=西区=は水嶋さんの指導を受けた一人。「グレゴリオ聖歌は西洋音楽のルーツ。必死で勉強するだけでなく、世界平和記念聖堂の聖歌隊として歌うことで、理論と実践を重ねた」と振り返る。

 ゴーセンス神父は、親交があったフランス出身の作曲家オリビエ・メシアン(1908~92年)をはじめ、名だたる音楽家を次々に招いた。「熱血漢の頑固者だが、『音楽を通し広島の人たちに希望を』という強い思いを感じた」と森さん。

 63年に4年制となって以降も、グレゴリオ聖歌を学ぶ宗教音楽は必修科目だ。学内のセシリアホールのステージには、パイプ総数2740本を誇るドイツ製パイプオルガンを備え、演奏会での重厚な響きが建学の精神を伝えている。

作曲家 冬木透さん(88)=東京

グレゴリオ聖歌に根幹学ぶ

 1960年代後半に放送された人気特撮ドラマ「ウルトラセブン」の音楽を作曲した冬木透さん(88)=東京=は、エリザベト音楽短期大の1期生。52年4月に入学し、助手時代も合わせ4年間在籍した。大学での学びから「音楽の根幹を授かった」と語る。

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 入学当時の広島はまだバラックが目立っていたが、音楽会がよく開かれていた。大学にピアノはあったものの、素人が造った倉庫のような校舎。壁にネズミがかじった穴があり、みすぼらしかった。

 だが、教育の中身は、こんな世界があるのかと驚きの連続だった。グレゴリオ聖歌との出合いは運命的だ。非常にスケールが大きい。年中、ミサの場で歌い、歴史をたどるうちに音楽の根幹や高みを授けてもらった。

 ゴーセンス神父は、情熱家でバイオリンが上手。「音楽は祈りです」とおっしゃっていた。思想の神髄だと思う。異国で寂しかったのだろう。深夜12時ごろになると「ちょっと話を聞いてくれませんか」と呼び出され、お姉さまやお母さまの話をよくなさった。

 ウィルヘルム・ケンプのピアノリサイタル(54年)は忘れられない。広島女学院に真っ黒いカーテンを借りて舞台をしつらえた。ベートーベンの「月光」を聞き、音楽があそこまで「精神の深み」を表現できることを教わった。

 助手だから大したことはしていないが、世界平和記念聖堂のパイプオルガンの組み立ても手伝った。東京から見えるエリザベトの環境は素晴らしい。本当に豊かな時間を過ごしていたと思う。

ふゆき・とおる
 旧満州(中国東北部)生まれ。観音高卒。1955年、エリザベト音楽短期大宗教音楽専攻科修了。ウルトラマンシリーズのほか、本名の蒔田尚昊でノートルダム清心中・高の校歌なども作曲している。64年から33年間、桐朋学園大音楽学部で教えた。

(2023年11月16日朝刊掲載)

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