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社説・コラム

『潮流』 被服支廠の生かし方

■特別論説委員 宮崎智三

 ナチスによる迫害から逃れるため、隠れ家で息を潜めて暮らしていたユダヤ人の少女アンネ・フランク。したためていた日記は、日本を含む世界中で広く読まれている。

 隠れ家のあったオランダでは、日本人の「アンネの日記」好きは否定的に見られることが多かった。戦争の加害者なのに被害者面をしている―。そんなふうに長年、捉えられていたそうだ。

 背景にあったのは反日感情だ。第2次大戦中、オランダ領だったインドネシアを占領した日本軍による捕虜ら「虐待」問題を巡って広がった。

 1971年に非公式訪問した天皇の車列に魔法瓶が投げつけられたほど反日感情は強かった。

 被害を受けた側のわだかまりは、双方、とりわけ、加害者側の反省や努力がなければ、解かすことは難しいのだろう。

 そんなことを改めて考えたのは旧陸軍被服支廠(ししょう)が国重要文化財に指定されると聞いたからだ。

 広島市内最大級の被爆建物であり、軍都広島の歴史も伝えてくれる。広島が、中国をはじめアジアや太平洋の国々へ多くの兵士を送り込んだ軍事拠点だったことの「無言の証人」と言えよう。

 原爆の被害を学べる施設は広島に数多くある。ただ、加害者としての側面は十分に発信できていない。抜け落ちている部分を補えるのは、被服支廠なのかもしれない。

 具体的な活用策の検討はこれから本格化する。どれだけ集客できるかだけにとらわれず、軍都の歴史を伝える機能をどう持たせるか。そんな視点が必要だ。被爆地の歴史認識が問われている。

 広島アジア競技大会から来年で30年になる。それを機に、広島がアジアとの関わりを見詰め直したことを思い出したい。

(2023年11月25日朝刊掲載)

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