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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅸ <3> 陸軍パンフ 思想や経済 国家統制を主張

 「たたかひは創造の父、文化の母である」。すこぶる好戦的な書き出しは人工国家の満州国をつくった自信からか。陸軍省新聞班は昭和9(1934)年10月、「国防の本義と其(その)強化の提唱」を発行し波紋を広げる。

 通称「陸軍パンフ」は軍部による国家革新の政策集だった。国際的孤立の中で総力戦を遂行するための国家統制を求める。重視したのは「国家を無視する国際主義、個人主義、自由主義」排斥の思想統制である。

 農村窮乏や富の偏在、貧困、失業などを生む経済機構の改革も主張した。国家総動員には経済統制で国民生活を安定させる必要があるとの発想だった。

 折しも東北は大凶作。娘の身売りや欠食児童が急増したが、当時の岡田啓介内閣の動きは鈍かった。陸軍の国策提言は格差是正に不熱心な議会政治への挑戦で、新たな政治主体となる意思の表明でもあった。

 無産政党の社会大衆党の幹部はパンフを評価する。資本主義を倒す社会改革には軍部と無産階級の結合が必然、と捉えていた。一方で、既成政党は猛反発した。軍備増強と農村救済を同時に主張することに無理があったからだ。

 多数野党の政友会は軍事費の大幅増による農村救済の遅れを衆院で突く。「昭和10年度予算案21億9千万円のうち10億円以上を陸海軍両省に取られ、内務・農林両省は8年度から半減。これでは日本は危ない」と。

 農村救済予算の緊急支出を迫る「爆弾動議」も可決した。ところが政友会は解散総選挙を恐れ、うやむや決着で腰砕けとなる。軍と対決し、軍事費に大なたを振るう勇気はなかった。

 政府の中にあって際限のない軍備拡張に抵抗したのが高橋是清大蔵大臣である。11年度予算案の折衝で国債増発を避けようとし、陸海軍大臣に「経済力に相当した国防を」と説いた。

 高橋の軍縮路線は世論の支持を得たが、軍部の恨みを買って後に凶行を招く。(山城滋)

軍事費偏重予算
 国予算中の軍事費割合は、昭和8年度39.1%、9年度43.8%、10年度47.1%、11年度47.6%と推移し、行政費は20%内外にとどまる。総額中の公債金収入は6年度8%から33~34%となり11年度は29.8%。

(2023年11月23日朝刊掲載)

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