×

社説・コラム

社説 広島原爆の写真・映像 「世界の記憶」へ大きな前進

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」登録に向け、大きく前進した。1945年に広島で撮影された原爆の写真1532点と映像2点である。深刻な被害を捉えた視覚的資料として、2年に1度、最大2件しか選ばれない国内審査を通過した。

 原爆の惨禍を身をもって知る被爆者は年々減っている。それだけに、記録写真や映像は、被爆の記憶を広く伝える上で重要さを増している。

 日本政府の推薦を受け、人類史上で特に重要な記録物だとユネスコが認めれば、原爆関連では初の登録となる。本審査は被爆80年の2025年春という。節目に届く朗報を被爆地挙げて待ちたい。

 広島原爆の写真と映像は、米軍が原爆を投下した45年8月6日から12月末までに地元市民やカメラマンたち27人と2団体が撮影した。13万~15万人が亡くなったと推定される45年末までの広島市内の被害を生々しく記録している。

 写真はまず今年8月、中国新聞社と朝日新聞社、毎日新聞社、広島市が共同申請した。さらに中国放送とNHKが加わり、それぞれが収蔵・活用していた映像も対象にした。

 写真は、朝日新聞大阪本社の宮武甫(はじめ)さんや毎日新聞大阪本社の国平幸男さんが写したやけどの手当てを受ける少年や顔を負傷した少女などだ。爆心地から約2・2キロの御幸橋西詰めで撮影された市民の惨状の写真も含まれている。本紙カメラマン松重美人(よしと)さんが8月6日にただ一人捉えた貴重なカットである。

 映像は、現存が確認されている中で最も早い時期に撮られた2分50秒のニュース動画と、45年9月下旬から10月にかけて撮影された救護所などを収めた110分の記録動画だ。いずれも日本映画社が写した。

 原爆関連で、広島から他に二つ申請が出ていた。市民団体「広島文学資料保全の会」は15、21年に続き今年も広島市と共同申請した。登録を目指す、原爆詩人の峠三吉の日記をはじめ4人の文学者の自筆原稿などの価値は高い。もう一つは、「原爆の子の像」のモデル、佐々木禎子さんの折り鶴と関連資料である。

 原爆の被害について理解を深めてもらうためには、立体的に伝えることが必要だ。ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の関連資料が参考になる。

 「アンネの日記」や戦後ドイツの裁判記録、映画「ショア」の証言音声アーカイブといった多様な資料が「世界の記憶」に登録済みだ。多角的・重層的にホロコーストについて知る支えになっている。

 原爆についても、世界遺産の原爆ドームをはじめとする被爆建物や、被爆樹木に、写真・映像や文学資料などが人類共通の遺産として認められれば、発信力は増すはずだ。長崎との連携も求められる。

 原爆の惨禍を繰り返さないため、さまざまな角度から被害の実態に光を当てて人類に警告を発し続ける。その責務を被爆地は忘れてはならない。今回の原爆写真・映像の国内推薦決定を機に、さらに発信力を強めていきたい。

(2023年11月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ