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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅸ <7> 二・二六事件 昭和天皇が激怒し決起挫折

 昭和11(1936)年2月26日未明、兵を率いた青年将校たちが重臣大官6人を襲撃した。早朝、磯部浅一は川島義之陸軍大臣と陸相官邸で向き合う。

 「君側(くんそく)の奸臣(かんしん)軍賊を斬除して大義を正す」との決起趣意を伝え、軍内反対派の逮捕を求めた。到着した皇道派リーダー真崎甚三郎大将は「お前達の心はヨオッわかっとる」と言った。

 磯部は川島や真崎を事前に訪ね、決起すれば善処してくれるとの感触を得ていた。軍長老たちは逡巡(しゅんじゅん)の末、「諸子の真意は国体顕現の至情に基(もとづ)くものと認む」との陸軍大臣告示を出す。決起は成功したかに見えた。

 川島陸相は宮中に赴き、クーデター成就の鍵となる暫定内閣確立を言上した。昭和天皇はこれを認めず、鎮圧を求めた。決起が挫折した瞬間である。同29日朝、原隊復帰との奉勅命令が出されて兵は徐々に帰順。二・二六事件は4日で鎮圧された。

 本庄繁侍従武官長は「君国を思うに出(い)でたるもの」と青年将校をかばった。天皇は最も信頼する老臣たちを倒すのは「真綿にて、朕が首を絞むるに等しき行為なり」と激怒し、自ら鎮圧するとまでの決意を示す。

 天皇の意思と絶望的に食い違っていた青年将校の行動。国民と共に国家を改造する天皇像が前提となる北一輝の思想を信じ切った故か、彼らは詰めが甘かった。取り巻きの特権階級を倒せば「国民の天皇」から支持が得られると考えたのである。

 決起は天皇にとり「国賊反徒の業」だったと聞き、獄中の磯部は「天皇陛下 何と云(い)う御失政でありますか」とつづる。絶望のどん底に突き落とされて初めて抱く憤怒の情動だった。

 農村救済も動機の一つだったはずの決起だが、若い兵たちの多くはその目的を知らなかった。奉勅命令が出ると青年将校たちは縛に就く。昭和維新を叫ぶファシズムの奔流を止めたのは、軍人が命を懸けて忠節を尽くすべき大元帥天皇の権威だった。(山城滋)

二・二六事件
 陸軍青年将校ら二十数人と兵の計1400人余りが決起。襲撃された斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監が死亡、鈴木貫太郎侍従長が重傷。岡田啓介首相は官邸内に隠れ、牧野伸顕前内大臣は逃げて無事。

(2023年11月30日朝刊掲載)

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