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連載・特集

時の碑(いしぶみ) 土田ヒロミ「ヒロシマ・モニュメント」から <5> レストハウス(広島市中区中島町)

被爆建物 活気とともに再生

 広島市中区の本通り商店街から西へ、元安橋を渡った先にある被爆建物。戦争を挟む時期の広島市や呉市を舞台とするアニメ映画「この世界の片隅に」(2016年公開)にも時代考証を尽くして描かれ、戦前の「大正屋呉服店」時代の姿が広く知られた。

 原爆の爆心地から約170メートルの至近で衝撃に耐えた堅固でモダンな洋風建築。さまざまな商店が立ち並んだ旧中島地区のにぎわいを象徴する店構えだった。戦後、平和記念公園へ生まれ変わった一帯が、元は本通り商店街に連なる盛り場だったことの生き証人でもある。

 大正屋呉服店は1943年末、国の統制令などの影響で廃業。広島県燃料配給統制組合の本部「燃料会館」となる。戦後も燃料会館として使われた後、57年に市が買い取って東部復興事務所が入居した。写真家の土田ヒロミさん(83)が最初に撮影した79年時点も、市の都市計画の事務所として使われていた。

 82年、現在まで続く「レストハウス」へと用途・名称を改め、土産品や軽食を扱う売店を入れた。観光の振興とともに、都市公園法に触れる状態だった園内の露店の撤去を促す狙いもあったという。

 2019年の撮影は、大規模改修の工事と重なり、シートに覆われた姿の写真となった。20年7月のリニューアルオープンに向けたこの改修では、壁の風合いや屋根などの外観を大正屋呉服店の時代に近づけ、旧中島地区の活気や被爆の歴史の展示も充実させた。

 被爆時に近い状態で残る地下室には、当時の県燃料配給統制組合の職員で、建物内にいた37人のうちただ1人生き残った野村英三さん(1898~1982年)の被爆体験が手記や絵の形で展示されている。地下に書類を探しに行っていて即死を免れた。世界中からここを訪れる人の胸に刻まれていく。

 平和記念公園内にある被爆建物は、原爆ドームとレストハウスの2件。県産業奨励館から痛ましい廃虚となった原爆ドームは、無人の廃虚のまま立ち尽くすことに意味を見いだされ、96年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産となった。

 レストハウスは、観光客たちを温かく迎え入れ、くつろいでもらう空間へ改修を重ねて命を永らえた。二つの建物が歩んだ、それぞれの戦後。対照ぶりが感慨を誘う。(編集委員・道面雅量)

 被爆地広島の姿をカメラで定点記録し、40年の歳月を画像に刻んだ土田ヒロミさんの連作「ヒロシマ・モニュメント」を月1回、2枚組みで紹介しています。次回は1月6日に掲載します。

(2023年12月2日朝刊セレクト掲載)

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