×

社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 戦死者のデータ 数字の奥の悲劇も 想像せねば 関西大教授 五十嵐元道さん

 82年前に日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争を始めた日がまた巡ってくる。日中戦争から軍人・民間人を合わせ310万人の国民が亡くなったとされる。おびただしい戦没者数を今、私たちは実感できているだろうか。当時を知る人が減り、戦争というものを捉えにくくなった。どうすれば戦争の実像に触れられるのだろうか。「戦争とデータ」(中公選書)の近著がある関西大教授、五十嵐元道さん(39)に聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

  ―あの戦争を知り、記憶を継承していくことが私たちに問われています。
 そもそも戦争というものを知るのは難しいことです。戦争はあまりに多くの人を巻き込んで死なせてしまう。その残酷さを身をもって知る戦死者は話せないからです。では死者数などのデータから全体像をつかめるか。基となる戦死者のデータを誰がどう集計しているのか研究しました。

  ―国際機関が主体なのではありませんか。
 戦争によりますが、今は国連や国際非政府組織(NGO)などが主体となり把握に努めています。

 しかし19世紀初めまでは戦争をしている国でさえ死者を数えることなど考えませんでした。将校は丁重に葬られても、下級兵士は集団で埋葬され、国家が死を遺族に知らせることもありませんでした。

  ―本当ですか。
 19世紀半ばから次第に変わります。生死について情報を求める兵士の家族からの圧力が増し、国家は応える必要に迫られます。徴兵制導入で説明責任も生じたのです。

 でも兵士の行方や、どこで死んだかなどは敵国からの情報提供が必要な場合も多い。そこで欧州では戦死者の遺体保護や捕虜の情報を交換する国際ルールが作られます。兵士の名前や所属を刻んだ認識票も導入されていきます。

  ―人道的な配慮が進められてきたわけですか。
 徐々にです。民間人を攻撃したり殺したりしないという文民保護規範が明文化されるのも、1949年のジュネーブ諸条約でようやくです。

 その条約も守られるとは限らない。犠牲者数を把握し、人権侵害や戦争犯罪の調査、告発へ。国際NGOや人道ネットワークが組織され、活動を広げてきました。

  ―戦地で死者を把握する困難な作業も、不断の努力で実現されてきたのですね。
 それでも旧ユーゴスラビア戦争などのデータは不明瞭です。25万人との研究があれば10万とする人も。アフガニスタンなどの犠牲者数もいろんな説や数字の幅があります。

 しかしその後、統計に基づく推計が確立されます。調査した確かなデータから大まかな人数を計算する手法。科学的にも説得力ある数字です。

  ―ウクライナやパレスチナから伝えられる死者数は実態に近いのでしょうか。
 誰が発表したデータなのか注意が必要です。また膨大なフェイクニュースが流されており戦争の正確な状況を捉えることを難しくしています。

  ―戦争は今、遠い地の出来事だし、太平洋戦争の死者数は膨大。私たち日本人はデータを実感しにくいようです。
 マクロな数字を見るとともに、その背後にあるミクロな物語、悲劇に目を向けねばなりません。膨大な数の死者の一人一人に残酷な最期があったのです。残された手記などに触れ、それを想像することが大切です。

 戦争体験の風化が叫ばれて近年、生き残った人が語り始めました。オーラルヒストリー(口述記録)が盛んです。一兵卒が体験した悲劇、あるいは銃後の女性らマイノリティーの物語から、戦争の残酷さに触れるのです。

  ―戦争データを収集する取り組みの意義とは何ですか。
 戦死者の膨大な数字は、人に無力感を抱かせたり思考停止にしたりするかもしれません。でも半面、大勢が殺されているという問題を社会的に突きつけもします。人々の注意を引きつける役割もあるのです。

 戦争を巨視的に捉え、死者の物語も一つ一つ想像する。戦争がいかに残酷か分かるはずです。戦争をなくすことにつなげたいと願っています。

いがらし・もとみち
 北海道江別市生まれ。北海道大大学院法学研究科修了。英国のサセックス大で博士課程を修了して博士号取得。専門は国際関係論、国際関係史。北海道大大学院助教、日本学術振興会特別研究員、関西大政策創造学部准教授を経て、2023年から現職。著書に「支配する人道主義」(岩波書店)など。

(2023年12月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ