×

社説・コラム

『潮流』 写せなかった実態をも

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 原爆資料館の入館者が最初に足を止める東館の冒頭展示の一つが、広島市内のパノラマ模型だろう。「死者約14万人 1945年の終わりまで」の文字が映写される。8月6日から年末までのヒロシマを象徴する推計値といえる。

 「14万人」の死と壊滅の現場で、実際に何が起こったのか。写真や動画が克明に記録している。市民や新聞記者は、被災しながら命懸けで撮影した。次いで東京や大阪から記者やカメラマンが広島入りした。戦後の占領期も撮影者の努力で散逸を免れた。その多くが資料館本館に展示されている。

 市と中国新聞社など報道機関5者は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界の記憶」への登録を目指し、この期間の写真1532点と動画2点からなる「広島原爆の視覚的記録―1945年の写真と映像」を共同申請した。先日、日本政府からパリのユネスコ本部へ申請書が送付された。登録の可否は2025年春に決まる。

 申請手続きの担当者として、書類の作成や、写真説明と動画キャプションを読み込んだり英訳したりする作業をしながら、凄惨(せいさん)さと悲惨が焼き付いた1532点を何度となく見詰めた。

 そして、8月6日に市内で市民の惨状を唯一撮影した本紙カメラマン松重美人氏が生前、流川町付近で折り重なる焼死体を前に「あまりにもむごく、放心状態といいますか、カメラを持っているのを忘れていた」と証言していたことに思いを巡らせた。

 写真は核のボタンを手にする全ての国家にとって直視したくない記録物だろう。これらの資料とともに、先人が撮影できなかったほどむごい被害実態をも世界に突きつけたい。被爆地に身を置く者としての、ささやかな決意である。

(2023年12月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ