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被爆者の紙芝居 思い継ぐ 福山の2世・植岡さん 代読活動

故池尻さんからバトン

 福山市原爆被害者友の会事務局長で被爆2世の植岡進次さん(67)=同市御門町=が、被爆者の故池尻博さんの紙芝居を受け継ぎ、昨年から語り部活動を続けている。今年4月に97歳で亡くなった池尻さんの「思いを代読する」と学校などを訪れ、原爆の恐ろしさや平和の大切さを伝えている。(東山慧介)

 11月上旬、植岡さんは鳳中(同市伊勢丘)に招かれ、被爆体験講話を開いた。池尻さんが描いた原爆投下直後の広島市内の絵など計17枚を見せながら、「一面の空がピカッと光ったかと思うと天地を揺るがすような爆音と爆風」「手の先から焼けただれた皮が水が滴るように垂れ下がり、か細い声で助けを求めていた姿が目に焼き付いて離れない」。池尻さんが書いた台本を読み上げた。

 池尻さんは1945年8月6日、軍馬を養う当番として爆心地から約3キロ離れた広島駅北側の二葉山へ草刈りに行き、被爆した。紙芝居には、寝食を共にした仲間が馬場で亡くなったことを描写。草刈りに行った自分が偶然助かったことを生涯引け目に感じ、「彼に代わって核兵器廃絶を発信していきたい」との語りを加えた。

 池尻さんは友の会の前身の市原爆被害者の会の会長を12年間務めた。体調不良をきっかけに、講演会のサポートをしていた植岡さんに紙芝居を引き継いだ。

 植岡さんは紙芝居を披露する際、13歳で被爆した母淳子さん(2017年に85歳で死去)の被爆者健康手帳も紹介する。淳子さんが体験記につづった「人間の所業である全ての戦争をなくし、核の絶滅を願うのが私たちの責務」との言葉と一緒に。

 友の会の会員は、現在被爆者17人を含む52人。高齢化が進み、被爆体験の証言を続けるのは植岡さん一人となった。「池尻さんに『よろしく頼む』と言われた。いつまで続けられるか分からないが、多くの人に平和の大切さを語り継ぐ」と決意をにじませた。

(2023年12月10日朝刊掲載)

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