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「明子さんのピアノ-」 著者に聞く 被爆楽器 今に通じる物語 少女らの素顔も感じて

 被爆死した女学生と原爆を生き延びたロシア人音楽教師―。今夏出版された「明子さんのピアノとパルチコフさんのヴァイオリン」は、偶然、広島で交錯していた二人の生涯や二つの被爆楽器の運命を描く。著者の二口とみゑさん(74)と廣谷明人さん(61)に本作へ込めた思いを聞いた。(桑島美帆)

 「明子さんのピアノ」は、1926年に米国ボールドウィン社で製造されたアップライトで、同じ年に米国で生まれた河本明子さんの遺品。本書は小学校入学前の33年に一家で帰国した明子さんが、じわじわと戦争に巻き込まれていく姿を描く。

 45年8月6日、広島女学院専門学校(現広島女学院大)の3年生だった明子さんは、市中心部の動員先で被爆。翌日「赤いトマトが食べたい」という言葉を残し、息を引き取った。19歳だった。

 「被爆前の暮らしや、一瞬で日常が奪われた事実を伝えたい」―。一般社団法人「HOPEプロジェクト」代表として、仲間と明子さんのピアノを再生し、継承してきた二口さんが、平和学習の教材となる本の出版を思い立ったという。

 3年前に中国新聞文化面の連載「平和を奏でる 明子さんのピアノ」を担当した西村文記者が第1~4章を執筆。明子さんが6歳から亡くなる前年まで書き続けた日記の言葉も引用している。二口さんは「明子さんは自立心の強い少女だった。親に反発したり悩んだりする素顔も感じてほしい」と話す。

 後半では、現在、広島女学院歴史資料館(東区)が保管する被爆バイオリンを所有していた白系ロシア人の音楽教師、セルゲイ・パルチコフさん(1893~1969年)の半生をつづる。4年前からパルチコフさんの足跡を調べてきた廣谷さんが担当した。

 米国在住のパルチコフさんの孫のアンソニー・ドレイゴさん(73)と密に連絡を取り、資料や写真を収集。広島女学院の音楽教師だったパルチコフさんと、広島女学院付属小時代の明子さんが写る集合写真も発見した。

 「パルチコフさんはロシア革命、原爆に翻弄(ほんろう)された人生だった」と廣谷さん。「今も、明子さんのように戦争で夢や命を奪われる人たちがいる。過去のことではなく、現在につながる物語として読んでもらいたい」と願う。

 アルゼンチン出身のピアニスト、マルタ・アルゲリッチさん(82)たちを魅了し、現在はレストハウス(中区)にある明子さんのピアノの秘話などを紹介するエッセーを、二口さんが添えた。演奏動画を視聴できるQRコードも掲載している。ガリバープロダクツ。1980円。

(2023年12月10日朝刊セレクト掲載)

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