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社説・コラム

天風録 『似島と二つの戦争』

 広島湾に浮かぶ似島は「にのしま」と読む。広く知られてきたのは誕生50年を迎えた「はだしのゲン」を通じてかもしれない。廃虚で知り合った少女の病状を心配したゲンが一緒に島へ渡る▲描かれた場面は真に迫っていよう。「はよう薬をつけてくださーい」「くるしいよ」。陸軍の検疫所がある島に壊滅した街から移された被爆者たちが、ろくな治療もなく力尽きていく。運ばれたのは1万人といわれる▲絶望的な惨状に先立つ二十数年前、似島にはまだ平穏な空気が漂っていた。第1次世界大戦で日本軍が中国・青島から連行した敵国ドイツの人たちの収容所がこの島に。その中に菓子職人のカール・ユーハイムがいた▲捕虜の尊厳が守られた時代。青島でも店を営んだ青年が日本初のバウムクーヘンを焼く逸話は知る人ぞ知る。広島市似島歓迎交流センターの命名権を、彼が日本に残り創業したユーハイムが今月獲得するのもその縁だ▲「お菓子には世界を平和にする力がある」。製菓業を大きく育てたユーハイムの理念だ。あまりに落差のある二つの大戦の記憶を刻むニノシマ。内外に広く、深く史実を伝えるきっかけにしたい。きょうは太平洋戦争が始まった日。

(2023年12月8日朝刊掲載)

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