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「原爆裁判」判決60年 問われ続ける核兵器の違法性

 東京地裁が、米軍の原爆投下を初めて国際法違反とした「原爆裁判」の判決から今月で60年を迎えた。原爆投下の違法性を指摘し核兵器禁止条約の礎石になったともいえる裁判は、何をいまに問うのか。流れや意義をおさらいする。

 「原爆裁判」は1955年、広島と長崎の被爆者たち5人が、サンフランシスコ平和条約で米国への賠償請求権を放棄した日本政府を相手に起こした訴えだ。原告の一人下田隆一氏の名から「シモダ・ケース」とも呼ばれている。東京裁判で被告弁護を担当した故岡本尚一弁護士が主導した。

 審理は8年以上に及んだ。63年12月の判決は、原告の賠償請求を棄却したものの、原爆投下は▽戦闘員非戦闘員を問わず無差別に殺傷▽人体にあたえる苦痛や残虐性は毒ガス兵器の使用よりはなはだしい―などと指摘。ハーグ陸戦条約など戦時国際法の根本理念に違反するとした。

 核兵器禁止を明文化した国際法がなかった時代に、原爆の非人道性を前提として国際法に照らした画期的な判断といえよう。原告、政府とも控訴せず、判決は確定した。

 被爆者たちの敗訴だったにもかかわらずこの裁判が注目されるのは、国内外にさまざまな影響を及ぼしたからだ。国内では提訴後の57年に原爆医療法、判決後の68年に被爆者特別措置法が施行され、のちの被爆者援護法制定につながった。

 国際的意義も大きい。核兵器の使用・威嚇は「一般的に国際法違反」とした96年の国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見にも影響を及ぼしたとされる。その前年、ICJで陳述に立った当時の平岡敬広島市長は「原爆裁判」を踏まえ、核兵器の使用はもちろん「開発・保有・実験も…国際法に反する」と訴えた。非人道性という観点からの機運が生まれ、禁止条約制定への道筋となる。

 原爆が投下された直後、日本政府はその「無差別性かつ惨虐性」を断じ、「国際法及び人道の根本原則を無視」しているとして米国に強く抗議した。しかし「原爆裁判」では、「原爆使用を違法とする国際法がなかった」として争った。核兵器を違法とする国際法が発効したいま、日本政府の姿勢がなおさら問われている。(森田裕美)

「原爆裁判」に関する主な動き

1945年8月 米国が広島・長崎に原爆投下
     同月 日本政府、米国に抗議文
  51年9月 サンフランシスコ平和条約・日米安保条約調印
  55年4月 被爆者らが日本政府を相手取り東京地裁に提訴(「原爆裁判」)
  56年8月 日本被団協結成
  57年4月 原爆医療法施行
    12月 「原爆裁判」で東京地裁が、原爆投下は国際法違反との判決
  68年9月 被爆者特別措置法施行
  95年7月 被爆者援護法施行
  96年7月 国際司法裁判所(ICJ)が核兵器の使用・威嚇は「一般的に国際法違
        反」との勧告的意見
2017年7月 国連で核兵器禁止条約採択
    10月 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)ノーベル平和賞に決まる
  21年1月 核兵器禁止条約発効

(2023年12月12日朝刊掲載)

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