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真珠湾公園を訪ねて 広島との協定を機に <上> ルポ 武勇たたえ 軍事色随所に

 広島市の平和記念公園と姉妹公園協定を結んだ米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園を今月上旬に訪ねた。旧日本軍の真珠湾攻撃から82年、米軍による原爆投下から78年。日米間の「和解の架け橋」をうたう協定の意味を考える。(宮野史康)

戦争に至る背景 双方の視点で

 南国の日差しが青い海を照らす。サングラス姿の観光客でにぎわうパールハーバー国立記念公園。ノートやペンをズボンのポケットに突っ込み、カメラを首にぶら下げてゲートをくぐった。かばんは持ち込めない。「爆発物対策だ。米軍基地の一部だからね」。玄関口のビジターセンターで職員が明かした。

 公園はオアフ島にあり、観光地のワイキキビーチから車で30分ほど。米国立公園局が管理し、旧日本軍の奇襲攻撃で沈没した米戦艦の名を冠す追悼施設が点在する。公園の日本語パンフレットには「太平洋における武勇をたたえる」と記す。

 アリゾナ記念館は、撃沈した戦艦の真上に浮かぶように立っていた。迷彩服の軍人がかじを取る海軍のボートで渡ると、石油の臭いがした。沈没船から漏れ続け、海上に広がる虹色の膜は「アリゾナの涙」と呼ばれる。亡くなった乗組員の名前を刻む壁には花が手向けられ、涙を流して見つめる女性も。その姿に、カメラのシャッターを押す指が止まった。

 軍事基地のフォード島にあるユタ、オクラホマ両記念碑は、自由に見て回れず、ツアーに参加した。「確認済み」と記した紙を手首に巻かれた。モニュメントや戦艦の残骸を案内してくれる職員1人とは別にもう1人が同行し、監視されているように感じた。

 一方、ビジターセンターでは、太平洋戦争に至る背景を日米双方の視点から伝えようとする姿勢が垣間見えた。「戦争への道」展示館では、日米が「共に戦争を避けるように望んでいた」と解説。「攻撃」展示館は、旧日本軍の作戦の軍事的な意義まで示し、相互理解を重視していた。

 館内には、平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの写真パネルもあった。白血病からの回復を願って鶴を折った悲話を「広島の灰の中から生まれた驚くべき物語」と紹介。ただ、被爆10年後に少女の命を奪った放射線後障害に触れていない。遺族が贈った折り鶴の実物は箱に収められ、のぞくと電球が切れていて見えなかった。

 公園全体で戦死者を敬い、かつての敵国との和解をも打ち出している印象を受けた。あの日の惨禍を訴える原爆資料館や原爆ドームがあり、核兵器廃絶を願う平和記念公園との違いは、こうした点にあるのだろう。

 同じツアーに参加したアイオワ州のマイク・グリーソンさん(56)は公園協定を「多くの場合、絶対に正しいとか間違っているとかではなく、異なる視点がある。協定は両面を学ぶ良い機会だ」と前向きにとらえていた。

 ただ、7日にあった真珠湾攻撃の記念式典では、米インド太平洋軍の司令官が「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」とあいさつした。なぜ、米国人たちはこのフレーズを言い続けるのか。公園帰りに配車予約で乗った「ウーバー」の運転手に尋ねると、こんな答えが返ってきた。「日本への恨みではない。国民を団結させるための言葉なのさ」

広島市の平和記念公園と米パールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定
 5月に広島市であった先進7カ国首脳会議(G7サミット)を機に米側が市へ打診。6月29日、松井一実市長と米国のエマニュエル駐日大使が協定書に調印した。若い世代向けの教育での協力などを定め、有効期間は5年間。国立記念公園はアリゾナ記念館、ユタ記念碑、オクラホマ記念碑、旧上級下士官宿舎、ビジターセンター周辺区域を指す。市は「軍事施設は含まない」としている。

(2023年12月17日朝刊掲載)

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