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社説・コラム

『潮流』 廃絶へのアプローチ

■論説委員 高橋清子

 核被害のつぶさな証言が胸に詰まる。広島で初上映のドキュメンタリー映画「寡婦たちの村」を鑑賞した。原爆に使われたウランの鉱山に近いカナダ北西部の村が舞台。24年前に公開された。

 1940年代から採掘に駆り出された先住民デネー人の男性の多くが、数十年後にがんで亡くなった。家族を含めて危険性を知らされず、採掘に伴う放射性廃棄物は放置されたままだと訴える。

 被害者たちが広島市を訪れる場面がある。上映後、字幕を担当した原爆文学研究会のメンバーや来場者とのトークで、ピーター・ブロウ監督は広島行きを自らが提案したと振り返った。「今のこととしてつながると考えた」と。

 隠された核被害を世に知らせ、事態を変える連帯の力が被爆地にあるとみたのだろう。

 核兵器禁止条約の歩みと重なった。被爆者とともに、核実験などの被害に苦しむ人が声を上げて賛同を広げた。先ごろ米国であった第2回締約国会議は、核抑止からの脱却に向けた議論の方向性を示し、核被害者支援の基金設立へ協議を深めた。核の非人道性を誰にでも響く訴えの軸と定め、核廃絶へのアプローチを粘り強く続ける。

 核保有国を議論にどう巻き込むかを探る上で、興味深い分析を聞いた。

 米国で1990年代半ば以降生まれの「Z世代」は、対テロ戦争の犠牲を基に、世界への関与で軍事よりも人道援助を求める価値観が強いという。原爆投下を正当化する言説は根強くとも、対話の芽は育ちつつある。

 締約国会議で日本の若者は核被害者の連帯を訴えた。オブザーバー参加を見送った被爆国政府は国際世論を動かすすべを他に示せるだろうか。

(2023年12月16日朝刊掲載)

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