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社説・コラム

『潮流』 ハマショーの原点

■論説副主幹 山中和久

 物価高に異常気象、政治とカネ、終わりの見えぬ戦争…。5月のG7広島サミットが随分前のことと感じる年の瀬だ。

 サミット会場となった広島市の元宇品から61年前の春、ポンポン船に家財を載せ、家族で江田島に向かう少年がいた。警察官の父の転勤で、見送る元宇品小の級友が遠ざかる。「この世の果てに行くような気がした」。シンガー・ソングライターの浜田省吾さんである。

 ラブソングの名手であるとともに、時代に警鐘を鳴らし続ける存在。小4から中1まで過ごした島は、世の果てどころか音楽活動の原点となった。〈海辺の田舎町/10歳の頃ラジオから流れてきたビートルズ〉。自身の音楽史といえる「初恋」はこんな言葉で始まる。

 特高警察の一員だった父は原爆が落とされた翌日、救護活動で広島に入り被爆した。父が見た悲惨を、一度だけ聞かされたことがある。島に越した年の秋、学習旅行で原爆資料館を見学した後だったと、田家秀樹著「陽のあたる場所―浜田省吾ストーリー」が記す。

 広島で核を手放せぬと宣言したG7首脳に筆者が怒りを覚え、改めて聴いた「愛の世代の前に」や「A NEW STYLE WAR」。これら核を問う曲を貫くのは江田島時代の記憶だろう。

 浜田さんが利用したバス停が廃止に伴い江田島図書館の中庭に移され、ファンの「聖地」になった。江田島市が今月、当時のままに再現したのに合わせて訪ねた。古びたベンチに座ると、彼との縁を大切にする人たちの思いが伝わってくる。

 きょう、あすと広島市でライブがある。古里への「帰港」のようだ。この一年を思い返しながら、数々のナンバーに身を委ねようと思う。

(2023年12月23日朝刊掲載)

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